熊谷登久平
これは独立美術協会物故会員の洋画家熊谷登久平関係者向け用の報告メモでもあります。気が向いたら更新しています。登久平と、義母と義兄、お弟子さん、甥の英三さんを中心とした千厩のメンバーが残してくれた資料、その断片、一関の平澤家の資料、それと古…
明治34年(1901年)10月2日、岩手県東磐井郡千厩町、豪商日野屋の熊谷喜造(二代目半兵衛)とまつみの長男として生まれる。本名、徳兵衛。 日野屋出身者に横浜開港の立役者で勝海舟の日記にも登場する熊谷伊助がいる。
谷中は朝から雪で、10時過ぎに警報が出たようです。 去年口約束はしていましたが、電話連絡があり来年度5月20日〜24日の『池袋モンパルナスの会会員展』に熊谷登久平の作品が展示されることが決まりました。 メインは義父熊谷登久平の宝物の長谷川利行のスケ…
社会保険の表紙のことばを国会図書館のデジタルアーカイブで眺めていたら、戦前十国峠に連泊したエピソードがあった。 昭和9年11月29日この峠から登久平は里見勝蔵に葉書を出している。 『十国峠にやって来ました。重ねはいりません峠の上の工夫●●です。朝な…
気仙沼の古美術商の車屋さんに入った熊谷登久平の作品の写真をご厚意で送って頂きました。 登久平が愛した山形の風景画も2点あり、興味深いです。 ↑この広告は #気中20 のブログの中の人から頂きました。 ↑道化師(厚生省の冊子「ねんきん」の表紙に使われた…
気仙沼の方に古美術などを扱う車屋の広告に熊谷登久平が出ているとTwitterで知らせて頂き、見ると東京から11点帰ってきたとある。 その中の「こがらし」は義父が短歌仲間に差し上げたものかもしれない作品だし、以前も車屋で熊谷登久平の作品を購入したとか…
ありがとうございました。 昨日今日と、洋画家の遺族たちにスマホで出来るスキャンもどきアプリの促成、布教講座となった。 講師私。 また大きなデータを楽に送れるLINEのoriginalさんとか、アラ還も頑張ってるんだよね。 上野松坂屋の屋上にパンダ。50年前…
我が家では気仙沼を描いたと伝わる熊谷登久平の「赤い崖」 大気新聞で調べると大島にてとなっている。 大島は今では気仙沼だが、合併されるまでは気仙沼じゃない。 とかでウジウジとこれは何処だろうと悩んでいたが、今日Twitterで地元の方が場所を教えてく…
ワクチン3日目で微熱がありハイです。 腰は相変わらず痛い。 義父の熊谷登久平の漁撈船(描いた当時の題は多分違う)は東日本大震災まで気仙沼図書館に展示されていたが、今は教育委員会の絵を収納するには適さない倉庫に眠る(死蔵への道)。 なので、その倉庫…
何回も書いてるけど、義父の熊谷登久平が死ぬまで「迂闊だった」と、後悔していたのが長谷川利行の本物の作品を複数渡されて鑑定した時に貼る紙に署名を求められ信じて紙を渡したこと。 この紙を使った贋作が出回り、裁判をおこそうとしていた時に倒れて義父…
10月12日水曜日から期間未定 「里見勝蔵を巡る三人の画家たち」展 企画水谷嘉弘 https://itakurakanae.com/about 池之端画廊 里見勝蔵と交流があった、熊谷登久平、荒井龍男、島村洋二郎の展覧会 (高村智恵子に学んだかも古川盛雄) 里見勝蔵の作品も展示。 …
義父、熊谷登久平晩年のお気に入りのサワラ砂漠と、夫 ↓私
かつて上野公園の都立美術館で開催されていた美術公募団体の展覧会。今は殆どが乃木坂の国立新美術館で開かれるようになった。ここは乃木坂駅直結で便利な美術館だと思うけど、連絡路は開放感を大事にしたため雨が吹き込みやすく、夏は暑い。 今回は義父の熊…
個展ではありませんが、秋に熊谷登久平関連の予定が入りました。 また2年後には昭和16年まで会員だった白日会の100周年展にも展示して頂ける予定で、これは新国立美術館に義父の絵が初めて展示して頂けることになります。 義父だけでなく、白日会が会友制度…
編纂ミスったので、写真ぐちゃぐちゃに入ってます。 [uploading:FC91EA17-7E57-4636-893E26334C17A3A2/L0/001] かつて私は博物館で戦前戦中の調査員として働き、戦記ライターを名乗り、戦記雑誌『丸』の別冊で連載を持ち、米軍の星条旗新聞 とも協力関係にあ…
浅草描いた「日本のゴッホ」 画家・長谷川利行 スケッチブック複製紹介 谷中のカフェで展示会:東京新聞 TOKYO Web https://www.tokyo-np.co.jp/amp/article/155019 コロナ禍ですが、谷中2丁目のカフェF9さんのご好意で2月いっぱいの展示予定が3月の未定まで…
朝は寒かった。 義父の金糸雀の写真を眺めていて、なんとなく違う角度の見覚えがあり、記憶を辿るとアトリエでの写真の背景にカナリアの絵があった。 金糸雀は1936年の白日会展に出展した作品なので、この写真は谷中初音町時代のアトリエなのかな。 この年、…
上野に行く途中、義父の親友だった長谷川利行の碑に立ち寄った。 義父の死後に碑は完成した。 利行は戦前の昭和15年に看取る人なく板橋区の養育院で亡くなり、空襲で骨壷は散り、かき集められた遺骨は長らく関係者宅にあったが、高度成長期に姪に引き取られ…
東京新聞の長谷川利行のスケッチブック展の記事をご覧になった女性が会場の谷中2丁目のF9に電話をくださり、明治34年生まれの熊谷登久平と同い年のお父様が大事にしてくださった登久平の絵があると教えてくださった。 昭和31年に亡くなられたお父様は戦後も…
寒いので猫が毛布に潜っている。 先日も書いたが義父の戦前の春の絵が6万円で売られていて、良い絵なので悩ましい。 筆記体のサインのだ。 号あたり1万円となっている。 義父が描く春のいぶきが私は好きだ。
『浅草描いた「日本のゴッホ」 画家・長谷川利行 スケッチブック複製紹介 谷中のカフェで展示会』の記事が掲載されました。 義父の熊谷登久平の宝物と夫から渡された缶に入っていたスケッチブックは私にも宝物となりました。 岩手県ゆかりの人物も登場してい…
夫の同級生でアニメ制作同人仲間が撮影した『長谷川利行と熊谷登久平幻のスケッチブック展』の熊谷登久平コーナー。 会場のF9さんでは私なりに長谷川利行のコーナーと、谷中モンパルナスの中心となった太平洋美術会のコーナーと熊谷登久平コーナーとやってみ…
友人が義父のパリ祭の早朝の絵を観てサティの『あなたが欲しいの』を思い浮かべたそうだ。 私もパリ祭の絵はとても好きだ。 https://music.amazon.co.jp/albums/B004RBIAXW?do=play&trackAsin=B004RBGM0U&ref=dm_sh_UP2A0DqjTirdnannpMlb2RD2T
1928年の長谷川利行はカフェ・オリエントを描き、矢野文夫は詩集『鴉片の夜』を上梓し、熊谷登久平は1930年協会と白日会に入選してる。 その1928年のスケッチブックに描かれた絵と詩はキラキラしてる。 https://www.momat.go.jp/ge/wp-content/uploads/sites…
今日の谷中のヒマラヤ杉 ここ数年、私は最新の美術年鑑に義父の熊谷登久平の名があるとホッとする。 画家は死後50年前後で消えるか消えないかと何かで読んだか聞いたか、上野の山の文化財研究所の物故者の名簿に名があるかとか、私は今とても気にしている。 …
バタバタと決まった長谷川利行と熊谷登久平幻のスケッチブック展。 今日の一時半から始まりました。 会場は谷中2丁目のF9。 火曜日水曜日は休みで密を避けるために来場は一時からでお願いします。 ここのスムージーが夫との初デートの味です。 つか縁が強く…
熊谷登久平 長谷川利行と私 墓と塔のある上野の山のおく、ここは若い長谷川にも私にも巴里の連中のように、モンマルトルであつた。この私達のグループのために、『ル・カポー』といふ酒場が東京のモン・マルトルにつくられた。この酒場が、私達に吞み倒され…
同じ画学校出身の洋画家に資料制作をほぼお願いしていたりする。 木曜日午後から熊谷登久平の宝箱に入っていた長谷川利行のスケッチブックの資料展を谷中二丁目のf9さんで開催します。太平洋美術会発祥の谷中清水町、戦前まで続いた谷中真島町があり、日本…
長谷川利行のスケッチブックと一緒に展示する義父の絵、重さの問題で熊谷登久平展で展示した三作品にする予定。
#ミュシャ展 と #僕の地球を守って 東京タワーコラボ展を梯子して、義父の宝物資料展の準備をしてた。 木曜日から始まる #長谷川利行 のスケッチブックのコピーの展示会。 スケッチブック本体は劣化を防ぐために私の古巣の足立区立郷土博物館に預けてありま…