熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

メモ 上野の森

美術家のほとんど総ては上野の森を背景にして住んでいるのだから奇妙である。 「読売新聞」(大正5年9月21日) 浅草の二天門の病院に行って墨田区の塩パン屋さんに行くといつもより並んでいる。 平日なのに何故かなと聞くとPayPay30%還元中ってことで、スマホ…

池之端画廊用メモ2

酸素95 機械脈81 実測62 脈跳びなし 血圧130-62 上野桜木にあった『ル・カポー』についての記述 この頃のことを利行の死後、矢野文夫編纂発行の『夜の歌(長谷川利行と藝術)』(邦画荘、一九四一年十一月十五日)の中で登久平は「墓と塔のある上野の山のお…

明日からは本気を出す

アパートの部屋のエアコンが壊れた。 まだ暑いので慌てて手配するも工事の日が連絡待ち。酷残暑なのに店子さん大丈夫だろうか。 旅行に行っている間にアンネのバラにハダニが一気に広がっていて何があったの状態。老眼が憎い。 早乙女先生の奥様が亡くなられ…

十国峠にて熊谷登久平を偲ぶ

義父が1ヶ月滞在したという十国峠。以前から確認したいと思っていたが一緒に行くはずだった夫は心臓に面倒なものが見つかり、もう遠出はできない。(プロポーズの時に老後は日本中の鉄道乗り倒そう。新婚旅行は寝台列車で出雲って言ってたのに) 私は調べ物や…

十国峠に向かっている 熱海にて 義兄の形見のリゾート会員権

義父が愛した十国峠に向かうため熱海。 夫は心臓がとても悪いので、留守番。 義父は大正時代に熱海で静養したので、その頃のスケッチブックも残っている。 熱海から初島を見た絵もあり、角度的に多分ここ的な。 で、長男である義兄が母子家庭で苦労した義母…

暑い

根津神社のお祭り2日目。 今日も神輿が練り歩く。 町はお囃子と掛け声で賑やかだ。 祭囃子の中で数十年ぶりに根津のドラッグストアのこども用おしめのコーナー前にたち、孫のおねしょ用の紙パンツを探すも嫁希望のメリーズは売り切れ。 SNSで話題になってい…

孫きたる

暑かった。 歩き疲れた。

谷中清水町 メモ 朝倉文夫 大河内子爵 橋本関雪

お世話になっている池之端画廊がある池之端四丁目は住所変更までは谷中清水町。 江戸時代は徳川家に三河時代から使えた有名な三河武士の大河内久綱の子孫の下屋敷があった場所。 明治維新後は大河内子爵邸。池之端画廊の場所は大河内子爵邸のお稲荷様があっ…

上野の森を巡る画家たち展 🎊阪神18年ぶり優勝

祝阪神18年ぶり優勝㊗️(⌒▽⌒) 六甲颪に 颯爽と蒼天翔ける 日輪の青春の覇気 美しく輝く我が名ぞ阪神タイガースオウオウオウオウ阪神タイガースフレフレフレフレ 闘志溌剌 起つや今熱血既に 敵を衝く獣王の意気 高らかに無敵の我等ぞ阪神タイガースオウオウオ…

#熊谷登久平 概略 (18979文字) 私と登久平の身内、関係者のための年表用メモ 随時更新

これは独立美術協会物故会員の洋画家熊谷登久平関係者向け用の報告メモでもあります。気が向いたら更新しています。登久平と、義母と義兄、お弟子さん、甥の英三さんを中心とした千厩のメンバーが残してくれた資料、その断片、一関の平澤家の資料、それと古…

ケイジャン

30年前にハブ空港のシカゴで乗り換えの合間に食べたケイジャンのチキン料理が美味しかったので、なんちゃってケイジャン的な簡単なのをたまに作る。前は米軍基地の近所か大使館関係者が利用する販売店でしか簡単にケイジャンの味が出せる調味料が手に入らな…

夫の手伝いで区役所へ 朝倉文夫の装甲車届く

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%B1%9E%E9%A1%9E%E5%9B%9E%E5%8F%8E%E4%BB%A4 朝倉文夫原型制作の装甲自動車が届く。(私的には装甲軌陸車) 夫と舐め回すように鑑賞す。 制作されたのは昭和6年だろうとし、2万個が国内外の人々に記念品として…

おにぎり用炊飯メモ 怪しい通販サイト

【材料(8個ぶん)】 ・米 2合 ・昆布 2×10cm ・塩 小さじ1杯 私が義父熊谷登久平による長谷川利行の鑑定のチェックのために随分前に落札した作品が、通販サイトで売られている。 写真は私が落札した時のものを使っている。 ここにも何回も書いたが、…

朝はだるい

昨日は通院で足立区に行った。 帰り、バスで千住に向かうと千住神社のお祭りで、車窓から神輿が見れた。 神輿は昔森鴎外が住んでいた場所へと向かっていった。 その近所にあったダイエーはトポスとなり、今はない。その向かいにあった老舗の豆腐屋さんは今も…

朝倉文夫のヴィッカースクロスレイ装甲車だと売られている作品 多分 九一式広軌牽引車

寝苦しさ、取れない疲れ、朝の体調の悪さの原因の一つが睡眠時無呼吸症候群の結構悪いだとわかってきた今日この頃、夢に朝倉文夫の装甲車が出て綺麗な夜空を颯爽と走っていった。乗りたくて追っかけたけど追いつかない。でも素敵だった。 久しぶりに素敵な夢…

だるい 睡眠時無呼吸症

100-71 明け方の胸痛や不快感に午前の疲れ、短眠で熟睡ができない悩みがずっとあったけど、検査の結果、AHI(無呼吸低呼吸指数)が38.2だった。 Wikiのリンク https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%9D%A1%E7%9C%A0%E6%99%82%E7%84%A1%E5%91%BC%E5%90%B8%E…

目眩がひどい的な低気圧で胸はドキドキ

脈107 血中酸素97 脈実測102 脈跳びあり、リズム不整 頻脈 血圧92-50 脱水気味

コロナワクチン6回目の接種予約 近隣の病院

喘息、他、面倒な持病がある私。 なのでコロナワクチンの接種券6回目のが初夏に届いていたけど、それは流行り出していた今のコロナに対応していなくて、私は対応したワクチンを打ちたく秋まで待った。前にも愚痴ったかもだけど、今年度の台東区のコロナワク…

亡くなられた人が可愛がっていた猫

ヒマラヤ杉の裏のお寺さん新渡戸さんの奥さんが可愛がっていた猫。最近はうちを根城にしているラブちゃんのお母さん猫。 衰えが目立ち始めた。 近隣では猫の避妊去勢をしているので、もう見かけるのは老猫だけになった。 今日は空き部屋の内覧があったが猫が…

暇に見えるけど用事は次々とくる 十国峠

色々あった。 今、十国峠に行く下調べをしているが、熱海からバスになる。 戦前、義父が十国峠に滞在したのは戦後に書いた随筆によると12月1日から30日までだったようだが、里見勝蔵に出したの消印から判断すると昭和9年11月29日から。 『十国峠にやって来ま…

孫帰る

「シクラメンのかほり」って歌が中学の頃流行った。 ……つかれを知らない子どものように時が2人を追い越していく…… って歌詞に「うん私も疲れを知ってる」と、中学生の分際で私は生意気にも大人気分だった。 で、孫よ孫。マジで疲れを知らない子ども。 そして…

暑い 関東大震災ネタ 前も書いた岸田劉生の写真

「九月七日(金)晴強雨あり、朝の中片瀬の写真屋が通つて購買組合を開いたのでそれと分り、こわれた宅の前と二宮さんの仮居の前と、写真二枚づゝ写してもらつた」岸田劉生の日記より。 この写真1️⃣を撮影したのが、片瀬写真館の初代熊谷治純、写真2️⃣左、中…

関東大震災から100年

義父が戦前所属していた美術団体の白日会は中澤弘光らが大正13年に結成し、事務局は谷中清水町にあった。 中澤らが結成準備をしていた大正12年に関東大震災が起きる。↓、江戸東京博物館が所蔵している中澤弘光の「流言蜚語」 https://www.edohakuarchives.jp…

台所の前は温石な墓地 コロナ禍の波きてますよね。

義母が今の家に建て替えた50年前は陽当たりよく良い風が入る台所だったそうだけど、今は墓地こんもりと茂っていた木々はなくなり、太陽で温められた墓石が放つ熱を風が持ち込んでくる。 めちゃ暑い。 酸素 97 機械脈 109 実測87 脈安定 血圧 110-88 昨日、マ…

今日も暑い

お世話になっている池之端画廊さんの【金子周次 木版画展】 〇会期:9月20日(水)~10月1日(日) ◆金子周次(1909年~1977年)銚子市の老舗の履物店の四男として生まれ、小学校時代から絵の才能を発揮。戦後の混乱期に、木版画・油絵・水彩画・書・ てん刻などの制…

言葉が通じない

母とその兄はあっという間に認知症がすすんだので、私は老いが怖い。 遠縁の著述業の女性が認知症になったと聞き、また焦っている。 夜行バスや周遊券を使って短期間で日帰り繰り返し、仲間に車を出してもらって現場の確認をしたり、無駄が多いと指摘される…

浅草生まれの義母、存命なら100歳。 私感受性が強い

大正12年8月28日、義母は浅草で生まれる。 義母の父親は植木職人で皇居にも入っており、なぜか大正天皇に遭遇したとかな話もあるけど確証はない。 義母の誕生日、8月28日かの確証が実は曖昧。9月1日の関東大震災で焼け出されて、火が回るまでに時間があり余…

息子夫婦と孫 4歳の孫、生まれて初めての祭り

孫、昨日出かけた諏方神社の祭りが楽しかったようで今日も出かけた。 孫が生まれてやっと立った直後にコロナ禍が始まり、4歳の孫は神輿が出る祭りは今年が初体験だ。9月に5歳になる。 出店を楽しみ、あれこれ食べて、スーパーボール掬いを3店舗でやり。 諏方…

4年ぶりの諏方神社の祭り 恥ずかしながらWikiに熊谷登久平の項目を追加しました。ないと不平を言う前にすすんで

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%86%8A%E8%B0%B7%E7%99%BB%E4%B9%85%E5%B9%B3#:~:text=%E7%86%8A%E8%B0%B7%20%E7%99%BB%E4%B9%85%E5%B9%B3%EF%BC%88%E3%81%8F%E3%81%BE%E3%81%8C%E3%81%84,%E5%B2%A9%E6%89%8B%E7%9C%8C%E5%87%BA%E8%BA%AB%E3%80%82&text…

ふるさとこいし 熊谷登久平 1936年独立美術協会関係のメモ

義父の熊谷登久平は晩年ふるさとに帰りたがっていたそうだ。そのため義母は一関市に義父の絵を寄贈することにこだわり、まだ義父の絵が人気あった時に手放さず今に至る。 それでも甥の英三さんと従弟の一男さんたち関係者が動いていてくださったから美術年鑑…