村上鉄太郎の田端駅前は白日会50周年展に出された作品。
つまり、この作品は50年前の『田端駅前』
私はとても気に入っている。
村上鉄太郎は浅草で生まれ育ち(迷子札参照)、谷中眞島町の太平洋洋画研究所に学ぶ。
村上の生家は浅草六区と呼ばれた地にあった。江戸時代からの火消しと瓦版、そして浅草寺の境内の芝居小屋を仕切り、松竹の東京進出に協力した『桝金』が生家の屋号。
桝金は芝居小屋の大道具小道具、合間の菓子売りなども担っていたと聞く。
鉄太郎は松竹の舞台美術なども担当したが、映画の看板も描いており、太平洋美術の後輩の加太こうじがその印象を書き残している。
白日会入選後、熊谷登久平たちと白日会初の会友となり、その後創始メンバー以外での初会員となった。(義父の熊谷登久平と同期)
そのメンバーは改革をもたらし、白日会の青年将校と開戦前まで呼ばれた。
↓ 大谷竹次郎
↓浅草のアトリエにて。
ここは義父たちの溜まり場の一つでもあったようだ。浅草の一等地だし。
↓戦後、北区中里のアトリエにて、ここに芸術を志す若者たちが集ったときく。
血中酸素96
脈103機械
脈実測 84 不整脈なし
体温34.2
血圧124-76