熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

6月なのに、猫が布団にもぐり込む気温

今日は少し肌寒いぐらいで、老猫のしっぽちゃんが娘の部屋の押し入れにもぐり込んでいる。

 

義父熊谷登久平の友人だった洋画家の村上鉄太郎氏のお孫さんから譲っていただいた教会を描いた絵葉書。

これはいったい何処の教会だろう。

夫と一関市にあった教会だったら面白いのにねと話していたり。

残念ながら、なんか違う。

 

 

 

(同じ頃に義父と交流があった洋画家の徳山巍(たかし)が教会を多く描いていたそうだ。)

 

 

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以下フェイスブック用。

 

義父の1930年協会、白日会時代からの友人だった洋画家の村上鉄太郎氏のお孫さんから譲っていただいた形見の中にあった教会を描いた絵葉書。

この頃の義父、熊谷登久平は復興していく東京市とふるさとをテーマに描くのが多かった。
ふるさとは今の岩手県一関市など、元伊達藩が多かったそうで代表作品が二科展で入選した気仙沼と、今は岩手県立美術館にある千厩警察署かな。
気仙沼は大火で被害が大きくも復興しつつあった地を描き、その絵が入選したことで気仙沼に観光客が来るようになったと当時の大気新聞に載っていた。
また、この頃、義父は旧制一関中学の美術部仲間と一関市で展覧会をやっている。

それらを考えて、この絵葉書が一関市に今もある教会だと素敵なのにと、熊谷登久平の次男である夫の寿郎と話していたが、写真を見ると違う。

義父は死ぬまで自分が描いたふるさとの絵を観たがっていたそうだ。
執着していた絵は疎開させて行方不明になった。
谷中の家は焼けずに済み、谷中に残していた絵は無事に残り、疎開させた絵が行方不明になったのはなんというか。

また、義父が死ぬまで後悔していた中に長谷川利行の贋作がある。
信用していた人に鑑定を頼まれたが別紙を渡されて書き、それを贋作に貼られてしまったのが晩年に出てきた。
裁判をしようと用意していた矢先に倒れてそのまま入院して死んでしまった。
義父と長谷川利行が不遇だった時代に助けてくれた恩人の息子さんが贋作騒動に遭い、それらを鑑定したことから他からも鑑定依頼がくるようになり。
贋作の多さにげんなりしていたそうだ。
中には熊谷登久平の贋作もあり、それは呆れていたとか。

数年前に露骨な熊谷登久平の紙を貼った長谷川利行の贋作を回収した。
他の鑑定者にはシールの贋作まであるとか聞いた。
やるせない気分になる時もある。