熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

メモ 本文

25×11 もしくは10 筆名最後に。

リードは2行

 

×11作品分

《》

 

〆切すぎてから仕様がきたので、俺は悪くねぇっ。わ、悪いのはせんせいだ!俺は悪くないぞ!

 

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1.漁村     F12 昭和30年代?  熊谷登久平遺作展出品作(昭和46年9月13日~18日、柳屋画廊)

2.小菅刑務所  P10 昭和初期頃    長谷川利行と一緒に荒川放水路あたりをスケッチしていた頃の作か?

3.熱海     F4           熊谷登久平画集NO24に掲載

   

以上、借用、到着待ち。

 

赤い帽子の女 モデルは妹の民子

 

パレットを持つ女(仮題) モデルは内縁の妻衣子

 

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熊谷登久平と熱海と里見勝蔵への絵葉書

来週金曜日に岩手県に行くために受けたPCR検査、二種ともとても陰性。首都圏の県民割実質行政が都民は適用外とまるで病原菌来るな的な対応をしていた今年。私が本家に行くことで迷惑をかけてはいけないので、陰性でホッとしてる。

 

熊谷登久平と熱海。

中央大学卒業時期に岩手県の千厩の豪商の家業を継ぐために帰らない、自分は画業につくと宣言した熊谷徳兵衛(本名)は実家の父から勘当され、潤沢な仕送りを打ち切られた。

それでも絵を描きたい徳兵衛は慣れない労働をやり、結核になる。

その知らせで実家の母の生家や親戚たちが一斉に仕送りをしたが、その金額は父親が送っていたものに満たなかったと伝わる。

倒れた徳兵衛を献身的に介護したのは11歳上の美しい女性。

(その美しさと教養の高さに徳兵衛が惚れ込み文壇の人と取り合って勝ったとかの武勇伝もある、衣子と名乗った女性を徳兵衛の母は信頼し妻と認めていたとも伝わる。)

大正14年ごろ、あの北里柴三郎の北里研究所に入院し、その後熱海で静養して大正15年に帰京しそれまでの日本橋浜町から根津に越して藤の花の頃に長谷川利行と出会う。

 

 

昭和16年に刊行した『熊谷登久平 畫と文』には『熱海』という絵がある。

今月12日からの池之端画廊での里見勝蔵と三人の画家たち展に展示予定だ。

 

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熊谷登久平と熱海の里見勝蔵。

我が家に登久平が里見勝蔵に出した絵葉書がある。(ごめんなさい、どこかに埋もれてしまった)

ヤフオクで里見勝蔵と交流があった方の息子さんから購入した。(彼からは登久平が里見勝蔵に出した葉書などを複数購入させていただいています。里見勝蔵宛の荒井龍男の葉書も彼からでした。)

 

(でこの葉書をTwitterで読めないと嘆いていたら徳尾書店さんが読んでくださいました。)

https://twitter.com/tokuno_oshoten/status/1576090951864709121?s=46&t=X5KdduhmjZ-BhhR0X-o1Jg

十国峠にやって来ました。●はいりません 峠の上の工夫●●です。朝な夕な姿を変へる富士は伊達者です。熱海と箱根の中頃です。都を離れての山の日も中々味があります。奥様●●様によろしく。御健康を祈ります。』

 

富士山の姿の移り変わりを楽しんだようです。で、実はヤフオクで熊谷登久平が富士山の時間経緯を描いた三部作のうちの二作品が出て、誰かに落とされました。

大事にしてください。

お願いします。

 

今回の熱海の葉書で気になっているのは消印で、素直に見ると昭和29年になり、ヤフオクでは29年と説明文がついていました。

が、昭和9年11月29日もあり得るのではと。

切手が菊紋で戦前のものに感じるのです。

多分昭和9年11月29日の葉書で、記念スタンプの風景が登久平が描いた熱海の絵と近く、この熱海から箱根に行く自動車道路の休憩場所かどこかから描いたのではないだろうかと私は推測しております。

徳尾書店さんも迷われたようですが、昭和9年11月29日だろうということで、いいじゃん。

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熱海-箱根自動車道路で検索をしていたら熱海市のサイトに解説があった。

日本初の自動車有料道路だったとか。

最先端好きの義父らしいチョイスだ。また熱海も関東大震災で大きな被害を受けている。その復興もある。

https://www.city.atami.lg.jp/kosodate/shogaigakushu/1011165/1006016/1009091/1012230.html

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今日の谷中の空気は金木犀の香りがする。

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独立美術協会のサイトに熊谷登久平生誕120年展の情報が掲載されました。 登久平と同い年の小熊秀雄の

独立美術協会のサイト、物故会員、義父の熊谷登久平の個展の情報が掲載されています。

ありがたや。

http://www.dokuritsuten.com/info_ko/index.html

 

 

義父と同じ1901年生まれ、池袋モンパルナスという言葉を最初に使ったと言われている画家で詩人、漫画原作者小熊秀雄の墓は都立多摩霊園にあるが、その墓地に関係者に連絡がとれなくなった連絡立板がたっているとTwitterで情報発信されている。

https://twitter.com/naovalis/status/1575122350307127298?s=46&t=juBT0fbHFkFbqfG2AkSYeg

生まれ故郷の旭川市では今でも小熊秀雄賞の公募があるし、豊島区では池袋モンパルナス関連のイベントや展示が毎年ある。

日本のSF漫画の先駆的傑作『火星探険』(大城のぼる作画)の原作者の旭太郎である小熊秀雄の墓。

その小熊秀雄の墓が無縁さまとして撤去される可能性があるかもなのは、諸行無常

なんとかならないだろうか。

公共墓地の管理規則は厳しいと聞いたことがあるが、モンパルナス関連の方たちに連絡だけはしてみる。

連絡をしたところ、そちらからある方に連絡が行き、数年前にも板が立ったとのことで、また対応してくださるとのこと。

都営墓地は規則に縛られておりその規則の中で対応を続けておられるようだ。

 

 

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舎人団地の13号棟の解体が進んでいる。

次は私が住んでいた12号棟になる。

 

最初は舎人団地の7号棟に新婚で住んで、故郷の母を呼び寄せ母は14号棟に入り、そこから8歳下の弟は結婚して出ていき。

母の異常な行動が始まり見守りが必要になり、母宅に私は泊まり込むようになり、仕事を減らし、夫と介護離婚になり、14号棟に住所を移したが都営住宅の規則で定期的に間借り更新が必要で、また母が死んだら明け渡す確認と捺印も毎度あり、精神的に参って都営住宅に申し込んでは落ちるを繰り返し、数年後に入れたのが12号棟だった。

精神的にまいっている時に入った号棟で煩い住人とのトラブルもあったが、ママ友が2人同じ棟であったので彼女らに随分助けられた。

また母に何かあっても退去しなくてもいい住処があるのも助かった。

斜向かいの棟に元夫が住んでいたのでトラブルもあったが、人間衣食住が足りるのは幸せだと思う。

そのささやかな幸せがあった12号棟、辛いことも沢山あったが収入で家賃が変動する都営住宅に住めてなければ親子三代どう生きたか想像できない。

 

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