熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

戦争画を描かない会合

義父には戦争画を描かない仲間が独立美術協会にいたと、その中の1人が海老原喜之助だったとの伝承が我が家にはある。

戦争画を描かない仲間たちがいたとかいないとか。

この辺の情報、夫は家人や独立美術のメンバー、お弟子さんとの雑談から断片を得ている。

があまり興味がなく聞き流しているし、義兄の関係者への質問対象でもなかったようだ。

義父の熊谷登久平は思想的反戦ではなく、従軍画家になりたくない、好きなものを描きたい的なものだったと思う。

また周りには洋行留学経験者が多くいて、義父も渡航直前に健康状態が引っかかり中断している。身内には維新の時代からの貿易商がいたし、画家仲間から第一次世界大戦後の欧州の話しや復興、欧米の現状も耳にしていただろう。

とはいえ、反戦厭戦的な確固たる意思ではなく、好きな絵を描きたいだけが義父の人生であったと思う。

 

戦時下、画材も統制品となり、『彩管報国/絵筆(彩管)で国に報いる(報国)』に属していないと手に入らない。また独立美術協会の展覧会も軍の干渉があった。

その中で雲の連作を出したり、鹿島神社香取神社を出したり。

そして美術教師の画家たち (徴兵逃れでもあった)が徴兵対象となる年に国策会社の東京航空計器の正社員になったり。

この辺の資料は無言館で見かけたので、通いたいが近所に宿がなく。

 

 

 

 

昨夜は夫が肋間神経痛で大変だったけど、マッサージで落ち着いた。

夫の心臓のサルコイドーシスが進行したのかと焦った。

サルコイドーシスがあるので夫は遠出ができない。色々と落ち着いたら一緒に日本中を旅しようと言っていたけど叶わない。

義兄がやろうとしていた義父が訪れた場所への旅を夫は年金生活になったらやるつもりだったが、それも叶わない。

義兄は義父のスケッチ旅行にもついて行ってたからある程度の場所もわかっていたようだけど。

義兄は60で倒れて61で亡くなり年金もらって旅はできず。

夫は今年65になるが、年金もらって旅は無理になった。

 

断片だらけの情報に振り回されつつ、いっそコックリさんでもやろうかと思ったり。やらんけど。


伊吹高吉 著 カット熊谷登久平

保険百歌  白路出版部 出版年月日1965

その白き花を : 米欧旅の歌集 (白路叢書 ; 第17集)

出版年月日1968 
シリーズタイトル白路叢書 ; 第17集

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日本の自画像
著者桑原住雄 著
出版者南北社
出版年月日1966

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