熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

戦前

予定 池之端画廊 里見勝蔵と交流があった、熊谷登久平、荒井龍男、島村洋二郎の展覧会 (高村智恵子に学んだ古川盛雄)

10月12日水曜日から期間未定 「里見勝蔵を巡る三人の画家たち」展 企画水谷嘉弘 https://itakurakanae.com/about 池之端画廊 里見勝蔵と交流があった、熊谷登久平、荒井龍男、島村洋二郎の展覧会 (高村智恵子に学んだかも古川盛雄) 里見勝蔵の作品も展示。 …

第100回記念 朱葉会展

東京都美術館にて、第100回記念の朱葉会展。展示されている作品はもちろんのこと、回顧展示のコーナー良かった。 朱葉会は1918年(大正7年)10月創立、日本初の女性の為の絵画公募団体。 今回の展示会では、女性史、女性開放運動の開花の一つでもある朱葉会…

早乙女勝元先生の告別式だった

早乙女勝元先生は私が先生というのに対して最後は開き直っていた気がする。 でも早乙女さんとはどうしても呼べなかったです。 私が手伝った本も並んでいた。 早乙女先生と同行取材の時の写真。 青い傘を持ってる日向一泰さんが今日持ってきて下さったアルバ…

恥ずかしながら 孫もいるおばあちゃんです。

一昨日、電話で東京新聞下町支局さんから取材を受け、写真を撮りたいと言われましたが上野動物園の双子パンダの抽選に当たっていたので話しを中断して上野動物園へ。 もう少し話しと写真を撮りたい記者さんと上野動物園で待ち合わせとなりました。 シャンシ…

『江戸藩邸へようこそ 三河吉田藩「江戸日記」』#谷中の大河内子爵家 #谷中下屋敷跡を訪ねて

楽しみにしていた久住祐一郎氏の新著 『江戸藩邸へようこそ 三河吉田藩「江戸日記」』 本日受け取りました。 https://amzn.to/3r7VqmJ 『大名屋敷の裏側、お見せします!――古文書から読み解く、大名・家臣・家族の暮らし 江戸の町には広大な大名屋敷(江戸藩邸…

池之端画廊 今展示されている #長谷川利行 の『大八車のある風景』とか

池之端画廊開廊3周年記念明治・大正・昭和 時代を彩った洋画家たち(Ⅲ)月曜・火曜休廊 11:30~18:00 最終日の3月20日は16:00まで○入場無料○ 池之端画廊さんにて、かつて上野の山に集い、谷根千など、東京の美術村といわれたあたりを闊歩した洋画家たちの貴…

戦争と日常

編纂ミスったので、写真ぐちゃぐちゃに入ってます。 [uploading:FC91EA17-7E57-4636-893E26334C17A3A2/L0/001] かつて私は博物館で戦前戦中の調査員として働き、戦記ライターを名乗り、戦記雑誌『丸』の別冊で連載を持ち、米軍の星条旗新聞 とも協力関係にあ…

谷中2丁目のカフェF9さんでの長谷川利行スケッチブック資料紹介展 

浅草描いた「日本のゴッホ」 画家・長谷川利行 スケッチブック複製紹介 谷中のカフェで展示会:東京新聞 TOKYO Web https://www.tokyo-np.co.jp/amp/article/155019 コロナ禍ですが、谷中2丁目のカフェF9さんのご好意で2月いっぱいの展示予定が3月の未定まで…

残雪

朝は寒かった。 義父の金糸雀の写真を眺めていて、なんとなく違う角度の見覚えがあり、記憶を辿るとアトリエでの写真の背景にカナリアの絵があった。 金糸雀は1936年の白日会展に出展した作品なので、この写真は谷中初音町時代のアトリエなのかな。 この年、…

一人で死んだ人 長谷川利行

上野に行く途中、義父の親友だった長谷川利行の碑に立ち寄った。 義父の死後に碑は完成した。 利行は戦前の昭和15年に看取る人なく板橋区の養育院で亡くなり、空襲で骨壷は散り、かき集められた遺骨は長らく関係者宅にあったが、高度成長期に姪に引き取られ…

夫の友人が撮影した谷中のF9さんの熊谷登久平コーナー

夫の同級生でアニメ制作同人仲間が撮影した『長谷川利行と熊谷登久平幻のスケッチブック展』の熊谷登久平コーナー。 会場のF9さんでは私なりに長谷川利行のコーナーと、谷中モンパルナスの中心となった太平洋美術会のコーナーと熊谷登久平コーナーとやってみ…

#長谷川利行と私 #熊谷登久平 スケッチブック資料展開催に向けて

熊谷登久平 長谷川利行と私 墓と塔のある上野の山のおく、ここは若い長谷川にも私にも巴里の連中のように、モンマルトルであつた。この私達のグループのために、『ル・カポー』といふ酒場が東京のモン・マルトルにつくられた。この酒場が、私達に吞み倒され…

昔とったなんとやら

私が30年前に調べていたことを必要とされる方がいて、今あるものをお渡しした。 縁とは不思議なものである。 我が家にあった熊谷登久平の宝物の長谷川利行のスケッチブックの複写や関係者の資料展示を新春にやる予定になった。 岩手県の一関で流れてしまった…

今日も寒い 義父の女たち

夫、雨に濡れてしまった。 昨日は義母のことを書いたが、今日は義父を支えた内縁の妻の写真などを少し。 今までも何回か書いたが、義父には支えてくれた内縁の妻がいた。 女性が好きな義父が戦後に義母を山形から連れ帰り、内縁の妻が守っていた屋敷は火宅と…

時代ってものがある。 新吉原とか遊郭とか役者とか

今日は風が強く空が青かった。 大正12年夏の終わり浅草生まれの義母。 彼女は関東大震災で何もかも失った実家の為に4回売られてる。赤子なので実子のいない家に売られ、そこが子宝を得て金つけて返され、2回目に売られた先でも子宝に恵まれ金付きで返され、…

母方の祖母の恵那市の実家の交流あった人たちのメモ

原田政雄(1908-1988)は伊那市高遠町に生まれ、小学校卒業後、長野県の諏訪にある呉服商で働く。その間美的なものに憧れ、特に着物の柄のデザインなどの収集を始めた。美術好きはさらに高じ、積極的に多くの作家のところに、出入りするようになり、自らも…

無縁寺心澄 資料

義父たちが白日会で短歌のグループ「まひる」を結成した。 その中の私にとって謎の人無縁寺心澄氏の作品は千葉市美術館に多くある。その千葉市美術館の紀要を送って頂けた。 無縁寺心澄氏が義父と同じ時期に川端画学校に通っていたのがわかる。 また同じ時期…

上野の山画壇メモ 大山忠作

うちの裏の墓の向こう側のアパートに長く住んでいた。日本画家大山忠作はみかどパンさんの馴染み客でもあった。

上野桜木、拂雲堂浅尾丁策作の額縁 と千厩警察署と熊谷登久平

岩手県立美術館の常設展示室にある義父の熊谷登久平の絵を観て額縁を見た時に、特徴のある金属のネームプレートがあった。 木製の額縁は丁寧に磨かれていて、元は金箔をはっていたように思えた。 これは多分、上野桜木の佛雲堂の浅尾丁策さん製作の額縁だろ…

独立十人の会 #白日会 無縁寺心澄(本名藤井茂樹? 村上鉄太郎画伯子孫資料、白日会 熊谷登久平交友メモ

義父の白日会時代に交流があったと思われる村上鉄太郎画伯のお孫さんに連絡がつき、我が家にある集合写真の一枚が昭和6年1月の白日会の時のものだと判明した。 また、我が家には残っておらず夫が知らない白日会時代の熊谷登久平の絵葉書もお祖父様の遺品に含…

熊谷登久平の初期の代表作 千厩警察署

岩手県立美術館の常設展に義父の熊谷登久平の千厩警察署の本物が展示されていた。 レプリカしか観たことなかったので感動した。 公立美術館に熊谷登久平の作品があるって私はミーハーだから結構嬉しい。 つか超嬉しい。で喜んでいた所に義父が仲良くしていた…

谷中の初音町界隈の画家 徳山巍 宮崎精一 熊谷登久平 長谷川利行 

熊本県の人吉の洋画家の宮崎精一氏は日記をつけておられて、それを元に生前作成された年表に戦時中熊谷登久平の世話で谷中の初音町に住んだことが記録されている。そこに記されている熊谷の家は、今私が住んでいる敷地にあった屋敷で、そこには義父の師匠の…

千の福ねこアート展at百段階段

目黒雅叙園にて、千の福ねこアート展at百段階段。旧目黒雅叙園が経営破綻をした時に目黒雅叙園美術館 にあった文展帝展のコレクションは散逸てしまったが、百階段が解体されなかったのは幸いである。 猫作品の展示はもちろんのこと、「(鏑木)清方の間」もよ…

上野・浅草11」#長谷川利行 と私/#徳山巍

台東区が発行していた地域誌 「上野・浅草11」#長谷川利行 と私/#徳山巍 特集/下町の名人 1976年3月発行 表紙絵/ #望月春江 をヤフオクで落札。前から全文を読みたいと思っていた徳山巍氏の随筆の初出本。 長谷川利行関係の本で徳山巍氏の随筆はたま…

自転車で亀戸

言問通りを言問橋まで自転車で走り太平洋戦争の被災地を辿った。 私が上京した頃の言問橋には人の脂がまだ強く残っていた。 夫の友人のお父さまは東京大空襲の時に浅草側から言問橋を渡り向島の焼けなかった場所にたどり着き助かったそうだけど、良くご無事…

東京美術館、旧館を知る展

東京美術館、旧館を知る展。旧館義父の写真で断片はみているが全体模型でみれて、掴めた場所も。 普段写真で目にする写真は階段と柱のある場所と内部なので、義父のアルバムに一枚柱があって階段がない写真があり何処だろうと思っていた。 模型で多分ここだ…

太平洋美術会 長谷川利行と秀才文壇

上野の山の尾根沿いに西に向かうとロケに良く使われる諏訪神社があり、その向かいに太平洋美術研究所、太平洋美術会がある。 ここが谷中の真島町にあった戦前には長谷川利行が出入りしており、写真も残っているが案外知られてない。ここのツイートを担当して…

熊谷登久平の古代ローマのインク壺 メモ

戦前義父が二科展に気仙沼を描き、観光客が来るようになったことの御礼で頂いた古代ローマのインク壺。義父が貸した作家の作品で存在が知れた。 それが載った新聞記事を読んだ気仙沼の第三者が「気仙沼の宝が外にあるのはけしからん」的に作家宅に抗議。 作…

終戦記念日75

うちの裏の墓地には先の戦争で亡くなった方の墓があちこちにあったけど、建て替えや墓じまいで減ってきた。 3月10日の東京大空襲で壊滅的な被害を受けた現墨田区の江東橋一丁目町会の慰霊碑、夫の記憶にある年代によっては慰霊祭的なことをやっていた時期も…

昭和7年、林房雄氏の谷中初音町の番地

台東区立中央図書館でレファレンスをお願いして、義父と交流があったらしい林房雄氏が昭和7年出獄後に住んだ谷中初音町の番地を調べてもらった。 ありがたや。「谷中初音町2-7」あ、その頃の熊谷登久平の住所は 「谷中初音町2-6」 近いじゃん。(昭和6年頃の…