戦前
これは独立美術協会物故会員の洋画家熊谷登久平関係者向け用の報告メモでもあります。 オーラルヒストリーの裏付けになれば良いと、熊谷明子の個人の感想も含め、気が向いたら更新しています。 登久平と、義母と義兄、お弟子さん、甥の英三さんを中心とした…
明治34年(1901年)10月2日、岩手県東磐井郡千厩町、豪商日野屋の熊谷喜造(二代目半兵衛)とまつみの長男として生まれる。本名、徳兵衛。 日野屋出身者に横浜開港の立役者で勝海舟の日記にも登場する熊谷伊助がいる。
日比谷図書文化館 特別展 「学年誌100年と玉井力三 ―描かれた昭和の子ども―」15日、火曜日までなので慌てて自転車で行ってきました。 ↑小学館の学年誌の表紙を描いておられた玉井力三画伯の作品展。ずらりと表紙が並ぶ。 ↑小学館一年生の歴代表紙、私はつい…
ワクチン3日目で微熱がありハイです。 腰は相変わらず痛い。 義父の熊谷登久平の漁撈船(描いた当時の題は多分違う)は東日本大震災まで気仙沼図書館に展示されていたが、今は教育委員会の絵を収納するには適さない倉庫に眠る(死蔵への道)。 なので、その倉庫…
10月12日水曜日から期間未定 「里見勝蔵を巡る三人の画家たち」展 企画水谷嘉弘 https://itakurakanae.com/about 池之端画廊 里見勝蔵と交流があった、熊谷登久平、荒井龍男、島村洋二郎の展覧会 (高村智恵子に学んだかも古川盛雄) 里見勝蔵の作品も展示。 …
東京都美術館にて、第100回記念の朱葉会展。展示されている作品はもちろんのこと、回顧展示のコーナー良かった。 朱葉会は1918年(大正7年)10月創立、日本初の女性の為の絵画公募団体。 今回の展示会では、女性史、女性開放運動の開花の一つでもある朱葉会…
早乙女勝元先生は私が先生というのに対して最後は開き直っていた気がする。 でも早乙女さんとはどうしても呼べなかったです。 私が手伝った本も並んでいた。 早乙女先生と同行取材の時の写真。 青い傘を持ってる日向一泰さんが今日持ってきて下さったアルバ…
一昨日、電話で東京新聞下町支局さんから取材を受け、写真を撮りたいと言われましたが上野動物園の双子パンダの抽選に当たっていたので話しを中断して上野動物園へ。 もう少し話しと写真を撮りたい記者さんと上野動物園で待ち合わせとなりました。 シャンシ…
楽しみにしていた久住祐一郎氏の新著 『江戸藩邸へようこそ 三河吉田藩「江戸日記」』 本日受け取りました。 https://amzn.to/3r7VqmJ 『大名屋敷の裏側、お見せします!――古文書から読み解く、大名・家臣・家族の暮らし 江戸の町には広大な大名屋敷(江戸藩邸…
池之端画廊開廊3周年記念明治・大正・昭和 時代を彩った洋画家たち(Ⅲ)月曜・火曜休廊 11:30~18:00 最終日の3月20日は16:00まで○入場無料○ 池之端画廊さんにて、かつて上野の山に集い、谷根千など、東京の美術村といわれたあたりを闊歩した洋画家たちの貴…
編纂ミスったので、写真ぐちゃぐちゃに入ってます。 [uploading:FC91EA17-7E57-4636-893E26334C17A3A2/L0/001] かつて私は博物館で戦前戦中の調査員として働き、戦記ライターを名乗り、戦記雑誌『丸』の別冊で連載を持ち、米軍の星条旗新聞 とも協力関係にあ…
浅草描いた「日本のゴッホ」 画家・長谷川利行 スケッチブック複製紹介 谷中のカフェで展示会:東京新聞 TOKYO Web https://www.tokyo-np.co.jp/amp/article/155019 コロナ禍ですが、谷中2丁目のカフェF9さんのご好意で2月いっぱいの展示予定が3月の未定まで…
朝は寒かった。 義父の金糸雀の写真を眺めていて、なんとなく違う角度の見覚えがあり、記憶を辿るとアトリエでの写真の背景にカナリアの絵があった。 金糸雀は1936年の白日会展に出展した作品なので、この写真は谷中初音町時代のアトリエなのかな。 この年、…
上野に行く途中、義父の親友だった長谷川利行の碑に立ち寄った。 義父の死後に碑は完成した。 利行は戦前の昭和15年に看取る人なく板橋区の養育院で亡くなり、空襲で骨壷は散り、かき集められた遺骨は長らく関係者宅にあったが、高度成長期に姪に引き取られ…
夫の同級生でアニメ制作同人仲間が撮影した『長谷川利行と熊谷登久平幻のスケッチブック展』の熊谷登久平コーナー。 会場のF9さんでは私なりに長谷川利行のコーナーと、谷中モンパルナスの中心となった太平洋美術会のコーナーと熊谷登久平コーナーとやってみ…
熊谷登久平 長谷川利行と私 墓と塔のある上野の山のおく、ここは若い長谷川にも私にも巴里の連中のように、モンマルトルであつた。この私達のグループのために、『ル・カポー』といふ酒場が東京のモン・マルトルにつくられた。この酒場が、私達に吞み倒され…
私が30年前に調べていたことを必要とされる方がいて、今あるものをお渡しした。 縁とは不思議なものである。 我が家にあった熊谷登久平の宝物の長谷川利行のスケッチブックの複写や関係者の資料展示を新春にやる予定になった。 岩手県の一関で流れてしまった…
夫、雨に濡れてしまった。 昨日は義母のことを書いたが、今日は義父を支えた内縁の妻の写真などを少し。 今までも何回か書いたが、義父には支えてくれた内縁の妻がいた。 女性が好きな義父が戦後に義母を山形から連れ帰り、内縁の妻が守っていた屋敷は火宅と…
今日は風が強く空が青かった。 大正12年夏の終わり浅草生まれの義母。 彼女は関東大震災で何もかも失った実家の為に4回売られてる。赤子なので実子のいない家に売られ、そこが子宝を得て金つけて返され、2回目に売られた先でも子宝に恵まれ金付きで返され、…
原田政雄(1908-1988)は伊那市高遠町に生まれ、小学校卒業後、長野県の諏訪にある呉服商で働く。その間美的なものに憧れ、特に着物の柄のデザインなどの収集を始めた。美術好きはさらに高じ、積極的に多くの作家のところに、出入りするようになり、自らも…
義父たちが白日会で短歌のグループ「まひる」を結成した。 その中の私にとって謎の人無縁寺心澄氏の作品は千葉市美術館に多くある。その千葉市美術館の紀要を送って頂けた。 無縁寺心澄氏が義父と同じ時期に川端画学校に通っていたのがわかる。 また同じ時期…
うちの裏の墓の向こう側のアパートに長く住んでいた。日本画家大山忠作はみかどパンさんの馴染み客でもあった。
岩手県立美術館の常設展示室にある義父の熊谷登久平の絵を観て額縁を見た時に、特徴のある金属のネームプレートがあった。 木製の額縁は丁寧に磨かれていて、元は金箔をはっていたように思えた。 これは多分、上野桜木の佛雲堂の浅尾丁策さん製作の額縁だろ…
義父の白日会時代に交流があったと思われる村上鉄太郎画伯のお孫さんに連絡がつき、我が家にある集合写真の一枚が昭和6年1月の白日会の時のものだと判明した。 また、我が家には残っておらず夫が知らない白日会時代の熊谷登久平の絵葉書もお祖父様の遺品に含…
岩手県立美術館の常設展に義父の熊谷登久平の千厩警察署の本物が展示されていた。 レプリカしか観たことなかったので感動した。 公立美術館に熊谷登久平の作品があるって私はミーハーだから結構嬉しい。 つか超嬉しい。で喜んでいた所に義父が仲良くしていた…
熊本県の人吉の洋画家の宮崎精一氏は日記をつけておられて、それを元に生前作成された年表に戦時中熊谷登久平の世話で谷中の初音町に住んだことが記録されている。そこに記されている熊谷の家は、今私が住んでいる敷地にあった屋敷で、そこには義父の師匠の…
目黒雅叙園にて、千の福ねこアート展at百段階段。旧目黒雅叙園が経営破綻をした時に目黒雅叙園美術館 にあった文展帝展のコレクションは散逸てしまったが、百階段が解体されなかったのは幸いである。 猫作品の展示はもちろんのこと、「(鏑木)清方の間」もよ…
台東区が発行していた地域誌 「上野・浅草11」#長谷川利行 と私/#徳山巍 特集/下町の名人 1976年3月発行 表紙絵/ #望月春江 をヤフオクで落札。前から全文を読みたいと思っていた徳山巍氏の随筆の初出本。 長谷川利行関係の本で徳山巍氏の随筆はたま…
言問通りを言問橋まで自転車で走り太平洋戦争の被災地を辿った。 私が上京した頃の言問橋には人の脂がまだ強く残っていた。 夫の友人のお父さまは東京大空襲の時に浅草側から言問橋を渡り向島の焼けなかった場所にたどり着き助かったそうだけど、良くご無事…
東京美術館、旧館を知る展。旧館義父の写真で断片はみているが全体模型でみれて、掴めた場所も。 普段写真で目にする写真は階段と柱のある場所と内部なので、義父のアルバムに一枚柱があって階段がない写真があり何処だろうと思っていた。 模型で多分ここだ…