夫、雨に濡れてしまった。
昨日は義母のことを書いたが、今日は義父を支えた内縁の妻の写真などを少し。
今までも何回か書いたが、義父には支えてくれた内縁の妻がいた。
女性が好きな義父が戦後に義母を山形から連れ帰り、内縁の妻が守っていた屋敷は火宅となる。
彼女は子に恵まれず、夫が連れてきた義母が妊娠したことで女主人の座を降りた。
戦前、藤田嗣治がプロデュースしたエロを売りにしないカフェのサロン春にマネージャーとして招かれた才色兼備な女性は、義父の従弟によるとのちに府立東京美術館で働いていたという。
この時代は新しい女が流行り、例えば高村光太郎と智恵子も入籍しない内縁関係が長く続いた。
登久平も彼女と入籍せず、自由恋愛を楽しんでいたようだ。
これは文壇画壇であるあるで、何人も女性がいた画壇は珍しくない。
今のモラルでは語れない時代である。
彼女と義母の歳の差は30をこえる。義母は同居していた彼女の介護をして看取った。
義父は彼女も愛していたので心弱り、新興宗教にはまり、そして癌で死んだ。
義父と内縁の妻と義母は同じ墓地で眠る。
戦後、あるモデルが義父が他の女性を妊娠させ正妻としたことを悲しみ自殺をしたと義母が語っていたそうだ。