熊谷登久平のことを調べていると、私は次男の嫁で子を生んでないので良くはなく。
登久平の血縁者からひっかきまわさないように注意を受けることもある。
二週間ほど落ち込んでいた。
登久平を支えた女性を私も夫も尊びたいし、義母に子ができたことで、義母が正妻となり、内縁の妻だった彼女が妾になったことへの辛さは、その頃彼女が心臓発作で東大病院に入院した記述でもわかる。
ただ、登久平は彼女も手放せず、妻妾同居の家となり、登久平より11歳上の美しかった彼女は登久平より22歳下の義母にフランス料理のマナーや幼児向けの栄養の化学式を教えた。
義母の子らは彼女を父方の祖母だと思い込んでいた。彼女も登久平の子を可愛がり、死後に2人の名義で貯金を残していたのが見つかっている。
彼女は京都の没落した家のお嬢様だったらしく、女学校を出ていたが不思議なことに戸籍がなかった。
この戸籍がなかったという事が、同じく未出生届で戸籍がなかった私が心惹かれるのかもしれない。
義母は中国の北京に渡り女義太夫をやっていたので中国語はできたそうだが、西洋の言葉が使えず、西洋からの来客時には元内縁の妻が対応していたそうだ。
晩年は義母に介護されて亡くなり、義父は彼女が死ぬと弱り追うように3年後に亡くなった。
不思議な男女関係だと思うけど、それは今の価値観だから。