義父、熊谷登久平の内縁の妻は熊谷衣子と名乗っていた。
去年、池之端画廊にて登久平が彼女を描いた作品を展示した。
それは彼女がパレットと筆を持っている構図で当時の最先端技術のアラジンストーブがある絵だ。
その筆の持ち方が絵を描く人のものだった。
だが、絵を描いていたとの話は知らないので、ポーズだろうと思っていたが白日会の記録に熊谷衣子という名があった。
えっ?
白日会の資料「白日会総出品目録」で調べると「ランプ 糸巻きなど」が衣子の画題だ。
この衣子さんは義父を支えつづけた内縁の妻だろうか。
また義父が書いていた短歌の冊子にも熊谷衣子の名が残っている。
義母が彼女のことを息子である次男の寿郎(私の夫)に「なんでもできた人」と語っていたそうだが、どうなんだろう。