熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

残雪

朝は寒かった。

 

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義父の金糸雀の写真を眺めていて、なんとなく違う角度の見覚えがあり、記憶を辿るとアトリエでの写真の背景にカナリアの絵があった。

金糸雀は1936年の白日会展に出展した作品なので、この写真は谷中初音町時代のアトリエなのかな。

 

この年、義父は盛岡で個展をやってる。
撮影が1936年なら熊谷登久平は35歳。

昭和11年、2月26日 - 二・二六事件勃発の年。

 

 (二・二六事件は生まれや地域格差も背景にあった)

 

 

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↑義父の画集より。

 

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ニコニコしてる義父熊谷登久平。
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義父の膝の上でニコニコしている夫の寿郎。この笑顔かわいい。
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夫は義父が50代後半の時の子で、寿郎(じゅろう)と名付けた。長くは一緒にいられないと甘やかす宣言をして「砂糖子」としたそうだ。
ただし、絵筆が握れるようになると同時に寿郎に対して油絵の指導を始め、ピアノの家庭教師もつけた。

義父亡き後は独立美術協会の松島正幸氏が夫の師匠となった。

 

で、寿郎だが中々じゅろうと読んでもらえなかったのが、テレビアニメ「鬼滅の刃」無限列車編 煉獄杏寿郎さんのおかげでサクっと読んでもらえるようになり歓喜している。

ご飯を「うまいっ!うまいっ!」と言いながら食べるようになり、幸せそうだ。

 

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夫のニコニコは可愛い。
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↑息子と私。

 


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