熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

登久平の金糸雀(カナリア)かも知れない絵があった

東京新聞長谷川利行のスケッチブック展の記事をご覧になった女性が会場の谷中2丁目のF9に電話をくださり、明治34年生まれの熊谷登久平と同い年のお父様が大事にしてくださった登久平の絵があると教えてくださった。

 

昭和31年に亡くなられたお父様は戦後も都立美術館の独立美術展に毎年女性を連れて行かれて、義父の絵をご覧になられていたとか。

お父様と登久平は交流があったようだとのことだが、女性が思春期の頃に亡くなられたため詳細は不明だ。

 

お父様宮城県出身で秋田鉱山専門学校へ戦前の職場は岩手の鉱山などのこと。

その頃登久平は仙台の鉱山局には旧制一関中学出身の親友が局長として勤務しており、仙台空襲の前に局長室にあった義父の絵を避難させている。

 

女性が所蔵されているカナリアは板に描かれたもので、額縁は戦前のまま金メッキだとか。

 

実物を見ないと佛雲堂、彩美堂、大地堂かは判断できない。

楽しみ。

 

写真は白日会に出した『金糸雀

岩手県一関市の千厩の義父の甥の英三さんが再版してくれた『熊谷登久平畫集』より。

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あーこういうの、きちんと調べないで書くから教養がないと、去年もコメントが来たけど、推測をしてからじゃないと資料探すのめちゃ難しいんだけどね。私にはね。

 

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