画壇
展覽會 ◆白日會(第三回) 七月三日—十二日 東京府美術館 會員佐分氏の話しに依れば、一般應募一千三百餘點の中から百四十五點を選んだと のことでありましたが、會員以外の作品は それが丁度、いや総てがと云つて好いくらひボーヴルなものであったことはずい…
義父熊谷登久平(徳兵衛)の旧制一関中学美術部の後輩で、共に川端画学校に通った白石隆一画伯の展覧会が来年一関市千厩で開催されるそうだ。 残念ながら私が岩手県立美術館に行く日程と重ならないので画伯の作品は県立美術館で見ることになる。 白石画伯は魚…
2024年3月21日(木)~4月1日(月)白日会創立百周年記念展 国立新美術館 2F (2A・2B・2C・2D)、特別陳列のコーナーに熊谷登久平の『小菅刑務所』が展示される予定。 特別陳列のカタログにも登久平のページがある予定。 我が家にある白日会の資料。 あと私が数…
機械脈91 血中酸素97 実測78 不整脈なし 体温34.6 血圧128-74 三浦坂、モデル坂の紅葉。 東大の銀杏並木も色付いてた。 電車で行くより自転車の方が早く着く国立近代美術館。 棟方志功展。 初期の油絵が一番見たかったので見れて嬉しや。 今年の冬に青森の棟…
社会保険の表紙のことばを国会図書館のデジタルアーカイブで眺めていたら、戦前十国峠に連泊したエピソードがあった。 昭和9年11月29日この峠から登久平は里見勝蔵に葉書を出している。 『十国峠にやって来ました。重ねはいりません峠の上の工夫●●です。朝な…
日比谷図書文化館 特別展 「学年誌100年と玉井力三 ―描かれた昭和の子ども―」15日、火曜日までなので慌てて自転車で行ってきました。 ↑小学館の学年誌の表紙を描いておられた玉井力三画伯の作品展。ずらりと表紙が並ぶ。 ↑小学館一年生の歴代表紙、私はつい…
太平洋美術会にて佐田興三画伯の入学60周年記念展。 初期から現在までの作品が並んでいました。 私は今はもう失われてしまった浦安の海岸風景に惹かれ、遠浅の海辺に育った明石の海の懐かしさも感じ少し寂しくもなりました。 明石のあの風景も今はない。 駄…
ありがとうございました。 昨日今日と、洋画家の遺族たちにスマホで出来るスキャンもどきアプリの促成、布教講座となった。 講師私。 また大きなデータを楽に送れるLINEのoriginalさんとか、アラ還も頑張ってるんだよね。 上野松坂屋の屋上にパンダ。50年前…
ワクチン3日目で微熱がありハイです。 腰は相変わらず痛い。 義父の熊谷登久平の漁撈船(描いた当時の題は多分違う)は東日本大震災まで気仙沼図書館に展示されていたが、今は教育委員会の絵を収納するには適さない倉庫に眠る(死蔵への道)。 なので、その倉庫…
今日は戦前戦後に義父の熊谷登久平が白日会でお世話になっていた洋画家の富田温一郎画伯の命日。 墓所は谷中霊園の日暮里駅南口から上がりきり右手の甲12地区。 そういえば谷中清水町17番地在住だった円地文子の処女作、短篇戯曲集『惜春』 昭和10年岩波書…
戦前、谷中清水町にあった白日会で義父たちは集い、浅草生まれ在住の会員、村上鉄太郎氏の家を編集部として文芸冊子を発行していた。 その冊子はなかなか見つからず、探していたがある美術館に寄贈されていたのがわかりコロナが落ち着いたら見せて頂けること…
東京都美術館にて、第100回記念の朱葉会展。展示されている作品はもちろんのこと、回顧展示のコーナー良かった。 朱葉会は1918年(大正7年)10月創立、日本初の女性の為の絵画公募団体。 今回の展示会では、女性史、女性開放運動の開花の一つでもある朱葉会…
個展ではありませんが、秋に熊谷登久平関連の予定が入りました。 また2年後には昭和16年まで会員だった白日会の100周年展にも展示して頂ける予定で、これは新国立美術館に義父の絵が初めて展示して頂けることになります。 義父だけでなく、白日会が会友制度…
池之端画廊開廊3周年記念明治・大正・昭和 時代を彩った洋画家たち(Ⅲ)月曜・火曜休廊 11:30~18:00 最終日の3月20日は16:00まで○入場無料○ 池之端画廊さんにて、かつて上野の山に集い、谷根千など、東京の美術村といわれたあたりを闊歩した洋画家たちの貴…
(ほいでもってブンブン 子供編) 腰がとても痛いから夫のシニアカーを借りて、定期の血液検査を受けに診療所に行く。 シニアカーは電動車椅子の楽ちん系というか、電動自転車より楽であるが、遅い。 時速6キロ。 歩くより早いが自転車より遅い。 まるで三輪車の…
明日から池之端画廊さんの開廊三周年記念展。ー明治・大正・昭和ー時代を彩った洋画家たち(Ⅲ) 往年の巨匠洋画家たちの作品を美術館などから借りて展示。 3月20日まで 藤島武、萬鐵五郎、長谷川利行、なんか凄い名前がズラリと並ぶ。 今週、また私が苦手な人…
浅草描いた「日本のゴッホ」 画家・長谷川利行 スケッチブック複製紹介 谷中のカフェで展示会:東京新聞 TOKYO Web https://www.tokyo-np.co.jp/amp/article/155019 コロナ禍ですが、谷中2丁目のカフェF9さんのご好意で2月いっぱいの展示予定が3月の未定まで…
東京新聞の長谷川利行のスケッチブック展の記事をご覧になった女性が会場の谷中2丁目のF9に電話をくださり、明治34年生まれの熊谷登久平と同い年のお父様が大事にしてくださった登久平の絵があると教えてくださった。 昭和31年に亡くなられたお父様は戦後も…
今日の谷中のヒマラヤ杉 ここ数年、私は最新の美術年鑑に義父の熊谷登久平の名があるとホッとする。 画家は死後50年前後で消えるか消えないかと何かで読んだか聞いたか、上野の山の文化財研究所の物故者の名簿に名があるかとか、私は今とても気にしている。 …
バタバタと決まった長谷川利行と熊谷登久平幻のスケッチブック展。 今日の一時半から始まりました。 会場は谷中2丁目のF9。 火曜日水曜日は休みで密を避けるために来場は一時からでお願いします。 ここのスムージーが夫との初デートの味です。 つか縁が強く…
熊谷登久平 長谷川利行と私 墓と塔のある上野の山のおく、ここは若い長谷川にも私にも巴里の連中のように、モンマルトルであつた。この私達のグループのために、『ル・カポー』といふ酒場が東京のモン・マルトルにつくられた。この酒場が、私達に吞み倒され…
私が30年前に調べていたことを必要とされる方がいて、今あるものをお渡しした。 縁とは不思議なものである。 我が家にあった熊谷登久平の宝物の長谷川利行のスケッチブックの複写や関係者の資料展示を新春にやる予定になった。 岩手県の一関で流れてしまった…
義父たちが白日会で短歌のグループ「まひる」を結成した。 その中の私にとって謎の人無縁寺心澄氏の作品は千葉市美術館に多くある。その千葉市美術館の紀要を送って頂けた。 無縁寺心澄氏が義父と同じ時期に川端画学校に通っていたのがわかる。 また同じ時期…
うちの裏の墓の向こう側のアパートに長く住んでいた。日本画家大山忠作はみかどパンさんの馴染み客でもあった。
岩手県立美術館の常設展示室にある義父の熊谷登久平の絵を観て額縁を見た時に、特徴のある金属のネームプレートがあった。 木製の額縁は丁寧に磨かれていて、元は金箔をはっていたように思えた。 これは多分、上野桜木の佛雲堂の浅尾丁策さん製作の額縁だろ…
義父の白日会時代に交流があったと思われる村上鉄太郎画伯のお孫さんに連絡がつき、我が家にある集合写真の一枚が昭和6年1月の白日会の時のものだと判明した。 また、我が家には残っておらず夫が知らない白日会時代の熊谷登久平の絵葉書もお祖父様の遺品に含…
忙しいです。先日落札された熊谷登久平の犬吠埼はバリベア会のメンバーと銚子の醤油メーカーだったヒゲタ醤油(今本社は東京)の保養所に泊まった時の作品で、姉妹絵もどこかにあると思う。 姉妹絵は展覧会向けでした。なので姉妹絵は絵葉書がうちにあります。…
嵐が大好きな友人のために多慶屋でサロンパスを購入した。京都に出かけている友人からは清浄歓喜団をもらう予定。 義父の熊谷登久平と同時期に東京市の小石川区にあった川端画学校で学んでいた橋本八百二画伯。 同じ時期に川端画学校にいた海老原喜之助氏が…
熊本県の人吉の洋画家の宮崎精一氏は日記をつけておられて、それを元に生前作成された年表に戦時中熊谷登久平の世話で谷中の初音町に住んだことが記録されている。そこに記されている熊谷の家は、今私が住んでいる敷地にあった屋敷で、そこには義父の師匠の…
目黒雅叙園にて、千の福ねこアート展at百段階段。旧目黒雅叙園が経営破綻をした時に目黒雅叙園美術館 にあった文展帝展のコレクションは散逸てしまったが、百階段が解体されなかったのは幸いである。 猫作品の展示はもちろんのこと、「(鏑木)清方の間」もよ…