熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

池之端画廊 今展示されている #長谷川利行 の『大八車のある風景』とか

池之端画廊🎉開廊3周年記念🎉
明治・大正・昭和 時代を彩った洋画家たち(Ⅲ)
月曜・火曜休廊 11:30~18:00
最終日の3月20日は16:00まで
○入場無料○

池之端画廊さんにて、かつて上野の山に集い、谷根千など、東京の美術村といわれたあたりを闊歩した洋画家たちの貴重な個人蔵の作品が観られます。

義父熊谷登久平の師である藤島武二の作品も展示されている。

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これは田端を描いたものかもとの説も出た。

 

『 東京の美術村
太平洋美術協会百年史からの抜粋で、大正五年の読売新聞の記事
103頁より


日暮里、田端周辺の美術家村
東京の大久保と雑司ヶ谷には小説家が多く住んでいたので、「文士村」と称された。
美術界でも明治後期に、既述のように皇居を境にして「北派」「南派」があったが、大正期には日暮里から田端界隈が東京の「美術村」であった。
当時の「読売新聞」(大正5年9月21日)は次のように伝えている。
美術家のほとんど総ては上野の森を背景にして住んでいるのだから奇妙である。上野の森を裏手に廻ったところ、日暮里から田端の一角は東京に於ける美術村とも称されるべき所で、これに本郷駒込の一角を加えて一線を画してみると、日本現代の美術は全くこの界隈の居住者によって左右されているような感じがする...…。
田端には、太平洋画会の美術家たちが創立した社交倶楽部「ポプラ倶楽部」があり、その会員の中川八郎、小杉未醒、満谷国四郎、藤井浩祐、吉田博、柚木久太などが住んでいた。そのほか横山大観、田辺至も田端に住んでいた。
日暮里には戸張孤雁、また駒込方面には石井柏亭、高村真夫、北村四海、丸山晩霞、それに高村光雲藤島武二などが住んでいた』

 

もっと以前、明治20年代の日暮里には日本洋画の始祖とも言える高橋由一も住んでいたし。

 

でこの記事のあとの時代、駒込方面に池之端画廊代表の鈴木英之氏の父方の祖父で洋画家の鈴木千久馬も住んでいた。

今回の池之端画廊の展示には鈴木千久馬の作品が複数展示されている。

 

また、日暮里の諏方神社の近所に長谷川利行も住んでいた。

 

 

 

 

https://fujimizaka.wordpress.com/2013/12/01/hasegawa_toshiyuki_3-4/

 

そして今回、池之端画廊さんに展示されている利行の作品。

『長谷川が日暮里富士見坂を描いた作品である可能性のある一枚の油絵の写真を掲げたい。画家、此木三紅夫氏の個人美術館である松山庭園美術館蔵の『大八車のある風景』である。武蔵野美術大学在学中に古道具屋で購入した油絵で、当時、大学の級友や教師から変った画家の作品を買うんだね、といわれたそうである。』
(今日も日暮里富士見坂/池本達雄氏)

 

この画家の此木三紅夫氏は高校の時に独立美術展に入選を果たした人でもある。

 

(1955(18才)大田区立雪ヶ谷高校・夜間部に入学。  独立展に「人魚の悲しみ」(作品所在不明)出品、入選。)

http://matuyamaartmuseum.web.fc2.com/profile.html

 

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私ね、利行の描いた年号を1927年と読んでしまって、本当は1937年でした的な。

昔、谷中警察署の近所に大八車を借りられる所があったと聞いてたので、そこの絵だとも思い込んでいました。

今回よく見ると富士山も見えるような感じで。

あぁ恥ずかしい。

 

あと、気になっているのが萬鐵五郎の作品で、

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不思議な明るさも感じたんですよ。

柔らかさと。

いつの作品だろうかと気になっています。

 

あと、鈴木千久馬の作品の中にとても心惹かれた裸婦像がありました。

 

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↓鈴木千久馬の薔薇

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