機械脈91
血中酸素97
実測78 不整脈なし
体温34.6
血圧128-74
三浦坂、モデル坂の紅葉。
東大の銀杏並木も色付いてた。
電車で行くより自転車の方が早く着く国立近代美術館。
棟方志功展。
初期の油絵が一番見たかったので見れて嬉しや。
今年の冬に青森の棟方志功美術館に行った時には初期の油絵が展示されてなかった。
今回の展覧会の年表には書かれていないが棟方志功は近所のお寺さんに初期住み着いていたことがある。
その頃は油絵で義父たちと交流し同じ白日会にも出品し入選はしてて展示もされていた。
しかし賞がなかなか取れず義父たちが白日賞を受けていき会友となっていく。
東北で書籍に載っている海外の油絵に刺激されたのは棟方志功と義父も同じ。
そしてやはり今回の展示には書かれてないが、棟方志功も東北の岩手出身の洋画家萬鐵五郎に憧れていた。そのためか棟方志功の初期作品には萬鐵五郎に似たものがあると私は思う。また常設展の部屋に萬鐵五郎らの版画が展示されていた。
↓萬鐵五郎の版画
『《わたくしは萬氏の繪の事については、際限を持たない。それ程、わたくしは「萬鐵に首ったけ惚れて」いるのだ。仕方がないほど、参っているのだ。》(「『萬鐵』の繪心」『板響神』1952年刊)とその心酔ぶりを記しています。これほど萬を敬愛し惚れ込んでいたことは、専門家の間でもあまり語られてきませんでした。』
https://www.city.hanamaki.iwate.jp/bunkasports/bunka/yorozutetsugoro/1002110/1004778/1002131.html
『ゴッホにあこがれ画家を目指して上京した棟方が、初めて入選を果たした春陽会展会場で、奇しくも「萬鉄五郎遺作展」が開催されていました。ここで棟方は何を目にし、何を感じたのでしょうか。以後、次第に版画の道へと分けいったその姿には、萬の影が漂っているように思われてならないのです。それを物語るように、棟方の奔放な表現性に萬のそれと通じるものを見出すことはたやすく、作品に漂う土着的な匂いにも共通するものを感ぜずにはいられないのです。
さらに、棟方は萬作品を手元に置きたいと1940年代から探し続けます。そして何度目かのめぐり会いで、ようやく手に入れた「自画像」に《萬鉄五郎先醒(せんせい)》と自ら裏書きし、封印するかのように額裏に糊貼りして生涯愛蔵したことからも、並々ならぬ敬愛の念を抱いていた証といえます。』
↓右端が棟方志功
↓時代
話しが逸れるが近代美術館には戦勝国アメリカから帰ってきた戦争画が多く収蔵されており、常設展示の一角に毎回展示される。
今は飛行機に関する展示で、藤田嗣治など。
話しを棟方志功に戻す、戦後は色使いが明るくなった気がする。よく目にするのは戦後作品だけど、空襲による戦前戦中作品の焼失も一因だと思っている。
↓個人的に観たかった作品。