義父が憧れたフランスの野獣派マティス。
旧制一関中学の美術部仲間の自宅にあった美術雑誌や画集に夢中になっていた熊谷徳兵衛。
今回のマティス展で展示されている『赤いキュロットのオダリスク』が描かれたのが1922年。
やはり徳兵衛が憧れた同じ岩手県出身の洋画家萬鐵五郎の日本フォーヴィスムの記念碑的作品との評がある『裸体美人』が1912年の美學の卒業制作作品。
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/213649
以前、芸大おじさんに日本のフォービズムは実力がない若い画家たちが飛びついた上辺的流行的なことを言われたけど、1930年代にフランスの美術評論家が書き残している日本人は模倣から自分のものに昇華していくってのが私には馴染む。