山形から山北線で仙台経由、新花巻に向かう。
途中、亡き母と一緒に行った山寺がある。あの頃の母は私よりずっと若かった。山寺駅から電話をしてさくらんぼ農園から迎えに来てもらいさくらんぼ狩りもした。40年近く昔の思い出だ。
山寺駅から見える山寺。
もちろん義父の熊谷登久平も描きのこしている。
私が観たのは戦後の作品だ。
そして仙台駅経由で新花巻に向かう。
仙台駅では千葉県が観光案内のイベントをしていた。ずんだシェイク飲んだ。
そして萬鐵五郎記念館美術館に向かう。
東京都台東区の池之端画廊と岩手県一関市の千厩での熊谷登久平120周年展。
いらした何人かのお客様から萬鐵五郎の影響が強いですねと言われ萬鐵五郎が気になっていた。
岩手県立美術館の常設で観ていたが、萬鐵五郎の故郷にある萬鐵五郎記念館にも多くの作品があり、旧制一関中学時代の登久平が憧れたのが理解できるのではないかとも御教示頂いた。
なので、行く。
新花巻駅で雪に降られてタクシーで萬鉄五郎記念美術館へ。
横降りの雪が霰になり凄く寒かった。
バスを待っていたら美術館は長い坂の上だからタクシーがいいと地元の人が教えてくださった。
美術館、確かに長い坂の上にあった。萬鐵五郎が通っていた小学校の跡地だとか。
萬鐵五郎の絵、当たり前だけど沢山ありました。
うん、義父の熊谷登久平が萬鐵五郎に憧れていたのは知っていたけど想像以上に影響大きいね。
めちゃくちゃ寒かったけれど、きて良かったです。
帰りは雪がやんでいて、長い坂を降りて土沢駅に向かった。
義父が描いた山寺
↓
仙台着
仙台から新花巻に行き、
↓萬鐵五郎記念美術館
熊谷登久平と長谷川利行と浅草で飲んでいた佐藤さんが上京前に勤めていた鉄道。
佐藤さんは戦後宮沢賢治研究会を立ち上げる。
彼のことは宮沢賢治の弟の清六さんが「兄のトランク」に書き記している。
で盛岡へ。
ビックリドンキーは盛岡発祥って去年知った。
その一号店へ。
今日の谷中のヒマラヤ杉
参考までにヤフオクに出ていた初期の熊谷登久平作品。
今は詐欺サイトに掲載されているのでご注意を。
↓熊谷登久平120周年展に展示されたものなど。