熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

朝から女子高生気分で遊ぶアラ還2人。

私は15歳の時に仲間と西明石駅の壁面を借りてイラスト展を開き、それが神戸新聞に取り上げられて思春期の主に美術部や漫画家志望者が会場に集まった。
その中に13歳だった女子中学生が何人かいてその子たちとも今も友人だ。あの頃はテスト勉強を手伝い先輩ヅラしていたけどアラ還になれば2歳歳なんて関係ない。
そのうちの1人に我が家にある代車用電動自転車を使ってもらい、2人で近隣をぶらり。
彼女は大学で油絵を専攻し、指導を受けたのが小出楢重のNの家族に描かれている息子さん、つまり彼女は小出楢重の孫弟子となるかな。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%87%BA%E6%A5%A2%E9%87%8D

私は光風会の田中祐一の教え子で、辻永(つじ ひさし)の孫弟子となる。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%BB%E6%B0%B8

神戸の女学生時代、私たちには上野の美術館は憧れだった。東京藝大、武蔵美も。

そして、残念ながら今は私たち2人とも絵をやっていない。ひたすら鑑賞を楽しんでいる。

 

 

まずは桜を見ながら根津カフェに向かい モーニング。
茶店な根津カフェのコーヒーは私たちの世代に懐かしい酸味のあるタイプ。
なので同世代のコーヒー好きはここに連れてくる。それとニコチン中毒の友人もここへ。

ここは絶滅危惧種の喫茶店

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根津カフェから根津神社でちらほら咲きのツツジを見て、東京藝大に向かう。

目当ては主催が、東京新聞東京藝術大学テレビ朝日の「大吉原展」。
光あるところに影がありな見どころ沢山。賛美だけじゃない。
高橋由一の花魁は修復を経て鮮明になっていました。
藝大生さんによる長唄の生演奏は「吉原雀」

♪沖の鴎の 二挺立 三挺立 ♪

選曲も素敵です。

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戦前からの学食が閉店し、生まれ変わった藝大の学食でお昼ごはん。

お昼を食べたら、義父の熊谷登久平が戦前乱闘をしたことで一部独立美術協会の会員に知られている韻松亭クリームあんみつを食べに行く。

ここのクリームあんみつは美味しい。

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昭和初期、義父の熊谷登久平は二科に連続入選していたけど1930年協会から続き独立美術協会に出展することを選び、二科はやめた。(二科は独立美術協会創立時にかなり強く不機嫌となり告知を美術雑誌に掲載したりした)

が、登久平は独立に初回から出展してもなかなか会員になれず、何故だか創立会員の某画伯に吉原での遊び方指南とか自腹でやったりしていた。

その愛妻家でしられる画伯は神楽坂の花街では酔って芸者の胸を揉むなど……大変だったと。

 


で、独立美術協会(白日会では会員)では下積み中の熊谷登久平は欲しかった独立賞を取れず、2回の海南賞というネタになる扱いを受け、ある日上野の韻松亭に集う独立会員の席に乱入し、乱闘。それが今も独立美術協会で語り継がれいるとか。

乱取り後、見栄を切る熊谷登久平は美しく、美を愛する画家たちは見惚れたと。

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残念ながら今の独立美術協会、熊谷登久平の絵は忘れられているが、一番強い柔道有段の会員として、そして韻松亭で暴れた会員として語り継がれている。この乱闘がなければ忘れられていたかもしれない。つまり結果オーライなのか?

良かったのか?

 

なお、熊谷登久平には活字に残る乱闘もある。何回も書いているが、独立美術協会が里見勝蔵派(野獣派)と福沢一郎派(超現実主義)で揉めていた時期、上野公園の山下にあった老舗蕎麦屋の2階で福沢派が会合を開いていた。

そこを熊谷登久平らが襲撃した。この時熊谷登久平は上野警察署に連行されたと書かれているが、記録残っていないかなぁ。

(その蕎麦屋は空襲で焼け今は仲町通りに移転している蓮玉庵(れんぎょくあん)だと聞いた。)

 

登久平からしたら、以前、福沢派が里見勝蔵に絡むことがあり、登久平らが一時期里見勝蔵に付き添っていた。で、福沢派が里見勝蔵襲撃の談合をしていると聞けば……

(画壇の池田屋事件かよ。なお、白日会での義父たちは白日の青年将校と呼ばれていたとか)

なんて雑談を夫は聞いているが、その福沢派も過激だった話しは活字には多分残っていない。

(I区の学芸員さんは福沢派の画家は若手なのでそのようなこと(過激)はしないだろうとのことだった。)

熊谷登久平の襲撃に対処できなかった福沢派は実は戦後も意に沿わない画家に絡んでいた。

新聞記事に戦後の乱闘事件が残っているが相手が1人の時に集団で襲いかかるようになったようだ。(新撰組方式かよ)

 


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クリームあんみつを食したら、トーハクに駆け込み中尊寺金色堂展へ。この展示は良いので友人に見て欲しかったので。

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トーハクぶらりの後は、元神戸の女子高生らしくたこ焼きを食べにアメ横へ。

安いのでも人気な「みなとや食品」は外人さんが列を作っていた。並んで食す。

神戸の元女子高生に嬉しい味の「名代秘伝の味 大阪じゅげむ 上野御徒町店」は空いていた。美味しいのに解せぬ。食して夫への土産も買う。

たこ焼きが温かいうちに夫に渡してから、谷中霊園の桜並木を抜けて日暮里駅に向かい、舎人ライナーで舎人公園に向かう。

私たち昔はこの辺に住んでいた。

あの頃はキラキライベントなかったよね的な。

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