一昨日から左胸が結構痛い。
が膝の骨が欠けた時や腰の骨が溶けていた時、尿管結石の時ほどではなく、ギックリ腰が左胸というか脇にかけて出たような感じ。なのでカロナールを4時間おきに飲んでいる。でも痛い。大きめの呼吸をしても響く。
肉離れでも起こしたのだろうか。
近所にとても良い整形外科があったがコロナ禍で業務形態が変わり今は整形外科の先生がいない。
どこに行けば良いのやら。
「輝く日本油画」−独立美術協会90周年記念展、日動画廊にて。
もちろん我が家には連絡ないですが、義父の川端画学校の同期の友人の画家の遺族にも連絡がなかったと知り、申し訳ないけれどほっとした。
お祖父様は義父より早く鳴物入りで独立会員になったのにと驚き、独立美術協会の初期会員が我が家に銘酒目当てに集まって飲んでいた時代を覚えている夫もびっくり。
創立メンバーの
伊藤廉、川口軌外、小島善太郎、児島善三郎、里見勝蔵、清水登之、鈴木亜夫、鈴木保徳、高畠達四郎、中山巍、林重義、林武、福沢一郎、三岸好太郎は展示から外せないだろう。
でも、「あの人が選外なら熊谷登久平は無理だろう」的な。
その画伯に指導されて我が家にも連れてこられたことがある九州出身の独立美術協会員も数年前に亡くなられていたのでそういうものだろうと。
午後、新国立美術館で開催中の独立展へ。
話題で聞いていた独立美術協会の昔の写真が載っている冊子を頂戴した。うちのアルバムが選外になるのは仕方ないと思った。うちのは白黒ばっかだし花がない。去年にダメだと聞いて慌ててデジタル化をキャンセルした。
デジタル化は安くはないので登久平は選外を早めに聞いていて良かった。
次の独立関係の機会は10年後だが、その前にくる熊谷登久平130年をやれるかどうかだったりする私と夫の健康寿命なので関わりはないだろう。
独立展、好きな画家たちの葉書を購入。
あと90周年のエコバッグを購入。
帰宅後、葉書と一緒に独立会員だった義父の仏前に供える。
独立賞を受賞できなかったことで乱闘になった説まである義父だけど、活字で残っている乱闘は福沢派の会合会場だった蕎麦屋に里見派が仕掛けたのであって、義父の名前だけ実名なのは義父がOKをしたからで他の里見派のメンバーもいたそうだからね。
会場の最後の3階で1930年協会(正会員)と、白日会に出品しておられた画伯のご遺族とばったり出会う。
彼女の義祖父の画伯は美學の藤島武二教室出身、同級に中村研一、前田寛治がいる。
川端画学校で藤島武二に学んだ熊谷登久平とは格が違うと一昨年に言われた時に一緒にいたのが彼女で、随分と心配をかけたものだ。
その後、また会場を一緒に周り互いに気に入った作品の話などをし。
その後、イブ・サンローラン展を一緒に鑑賞。
イブサンローラン展へ。
スタイル画がめちゃくちゃ良かった。
めちゃうまい。