今日のヒマラヤ杉と
朝の空気入れ替えに嬉々とした猫たち。
今日の六龍鉱泉と鴎外荘。
六龍鉱泉は更地になり、鴎外荘はどうなるのかしら。
ギャラリー川船さんに用があり京橋から銀座まで歩く途中、八重洲の西邑画廊さんにて眼福。
目的地は日動画廊さん。
途中のソニービル跡地は工事中だった。
ここの地下にはピエール・カルダンのレストラン、あのナポレオンパイのマキシムドパリがあった。
あと安いコスメ売り場もあり、当時若い女性だった私はここの地下が好きだった。
表で蛍の展示イベントをやったりも好きだった。
素敵な場所だった。
その後解体されたソニービルの後の施設『銀座ソニーパーク グラウンドレベル』の地上フロアでバオバブの木を売りにした星の王子様系イベントやって大炎上したのも今は昔。
https://www.fashion-press.net/news/41970
あのバオバブイベントをした施設も今はなく。
その先の日動画廊へ。
里見勝蔵氏は長谷川利行と義父が谷中の彩美堂と大地堂で個展をやったときに前田寛治と共に観に来てくれて、自宅に招いて酒三升飲まれた人。
義父の熊谷登久平は独立美術協会で野獣派の里見勝蔵派筆頭としてシュルレアリスムの福沢 一郎派と山下の蕎麦屋で大乱闘をやった記録が残っている残念な人。
まぁすごい時代というよりお茶目な人たちだ。
義父の友人の宮崎精一氏は戦時中一時期谷中に住まい、熊谷登久平宅には里見勝蔵氏も遊びに来ていてブラマンクなどを語っていたと残しているが、義父と里見氏との交流が活字になっているのは昭和18年が最後か。
義父は里見勝蔵氏が好きで好きで私が回収した里見氏あての葉書はもう読んでて恥ずかしいぐらいだった。独立美術協会の里見勝蔵派には戦争記録画も書き残している田中佐一郎もいた。
義父の遺作展のパンフレットで里見氏は登久平と佐一郎が先に死んだことを寂しくなったと書き残している。
日動画廊地下では太平洋洋画会(現、太平洋美術会)出身の画家の足立源一郎展もやっていた。
戦前に谷中にあった太平洋美術で学んでいたのだから谷中ゆかりの人と言っても良い。
山の絵がずらりと並び、空気が澄むというより研いでた。
日動画廊から有楽町に向かう。
マリオンに映画の看板がないことに衝撃を受ける。
そして有楽町駅前の百果園さんの建物がなくなっていることに愕然とする。
中園亭さんは休業中。
当たり前だったものが次々となくなっていく。
帰宅して二階の窓から日没後の谷中のヒマラヤ杉を見て、ホッとする。
いつまであるかわからないけど、あればホッとする。
夜は町内会役員会の会議だった。