熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

メモ 東京大空襲から81年

肌寒いと思っていたら雪がぱらりと。

夫が出張修理に出たときは結構なみぞれだったそうだ。

 

81年前の東京も寒く、水の中に逃げ溺れずにいた人たちは体力を失い亡くなった方もいたと聞く。

建物が燃えている間は熱く、炎がおさまると冷えたと。

 

浅草寺の慰霊碑に東京大空襲が初戦(初出陣)だったB-29の搭乗員を案内したことがある。

彼らの隊は真珠湾攻撃の報道で義憤にかられ志願したものが多く、東京大空襲が初めての参加作戦だった人も多かった。3月10日に損失した9機のうち1機が親友の乗機であった。


私は東京都の式典とか連れ回し、まだあちこちに残っていた慰霊地蔵を教えて早乙女勝元先生と仲間たちが作った慰霊碑の地図と、空襲図を渡した。早乙女先生からは写真集が贈られて。

 

その頃はまだ浅草寺境内で売っていた鳩の餌を渡し、彼に平和の象徴の鳩が群がった。本堂の上にいた鳩も飛んできた。鳩は攻撃的ですらあった。

浅草寺は隅田川の自然堤防にあり少し高台となる。なので大雨による洪水でも床上浸水はしなかったそうだ。また地震にも強い場所であり建造佛だった。

関東大震災では焼けず守られた本堂を信じて避難していた人たちが一緒に燃えるの話しなど。


あの時、私は彼がB-29の機上から覗き溶鉱炉と感じた現場を次々と案内した。

また親友の機体が墜落した荒川河川敷も案内し、生き残り捕虜となった戦友たちが焼死した代々木を案内した。

歓待もしたが、優しくはなかったと今も思う。

私は彼が大好きだったのに。

 

 

 

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と、愛猫のにゃあちゃんを捕まえて撫で回していたらシコリに気がつく。

癌再発か?

動物病院に予約の電話を入れるも最速で木曜日8時半。夫が連れて行ってくれるそうだ。

母亡きあと、子も巣立ち精神的におかしくなっていた私に友人が預けてくれた猫。

大怪我していたにゃあちゃんの世話をしたことで私は生き返ったと言える。

可愛い可愛い私のにゃあちゃん。

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↓のるる

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