熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

なにかと用が重なる日でありました。煎餅食べて早乙女勝元先生を偲ぶ。

 今日は雑用が多く台東区を自転車で半周した気がする。ほぼ旧下谷区ではありますが。

下谷区といえば秋田の大名の佐竹家の屋敷ゆかりの佐竹商店街にあった安い惣菜とお弁当の店が閉店していた。

佐竹商店街でお弁当を買って上野公園で紅葉狩りと考えていた。

上野公園では青森県のイベントをやっていたからコロッケなどを買うも、ビールが売り切れていた。

焼きとうもろこしが安かったので、店子さんたちように買った。

喜ばれた。

店子さんの親御さんからは食材が送られてくることが多く、何歳になっても子は子なんだよなと。

 

親御さんが亡くなられてもしっかりしている人もいれば、弱っていく人もいる。

私の場合は母が亡くなり経済的肉体的精神的にも開放された筈なのに、精神的にとてもおかしくなった。

介護鬱が終わるのではなく悪化した。

我が子たちは大変だった。

 

 

 

 

玉ねぎが安くなってきたので、大量に親子丼を作り店子さんたちにも出した。

鶏肉は上野桜木の鳥正さんで購入。

ここは注文時に料理に合わせて切ってくれるから楽。

肉も美味しい。

 

 

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↑井浦俊介さんの個展、池之端画廊にて。

井浦さんはコロナ禍の3年毎日猫を描き続けた。222匹の猫を先日描き上げ、その展示会。13日(日)まで🐾

可愛いが沢山でした。

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嵯峨の屋さんのお煎餅を差し入れて頂く。

ここのも美味しい。

 

恩師の早乙女勝元先生は西新井大師の浅香屋さんのお煎餅がお好きで、一緒に自転車で鹿浜に調査に行った時にわざわざ遠回りをして買うほどお好きだった。

店の人も先生が好きなのをささっと詰めていく。

戦後50年の準備をしていた頃の思い出だ。

今年、浅香屋に行った時にはもう早乙女先生を知る人はいなかった。

先生も歳を重ねて自転車に乗るのをおやめになり、歯も丈夫でなくなったとおっしゃられていたから届けるのは日暮里のパン屋さんのシベリアなどになった。

そのパン屋さんの近所の枝垂れ桜が美しい寺に先生の墓はあるけれど、納骨はまだだ。

 

早乙女先生に谷中の人と再婚するかもしれないと話した時に、かつて谷中に家を持ちたいと谷中の共産党区議さんと豆腐屋さんに随分と谷中を案内してもらって歩いた話しをしてくださった。

その区議さんは空襲の慰霊碑をコツコツと調べていたグループのひとりなので戦後50年の頃に先生から紹介して頂いた覚えがあった。

その方は若い頃は我が家の裏のアパートにお住まいだったと数年前にお会いした時に聞いた。

その元区議さんと早乙女先生はあちこちの物件を見て歩き、先生の気に入った物件は我が家のごく近所で、でも持ち主さんの都合ですぐに買えなくて、先生は足立区の西伊興に土地を買い線路の枕木で家を建てた。

先生は私が谷中の人に嫁いで住むことになった時に「良い場所ですよ、災害にも強いです」とおっしゃった。

うちの裏にある東京大空襲の慰霊碑の報告をした時に、久しぶりに元議員さんにも会いたいし慰霊碑もみたい調べたいと仰っておられたけれどコロナ禍でなかなか叶わず、亡くなられた。

 

おいでになったらシベリアのパン屋さん、昔ながらの煎餅屋さんにある高齢者も食べやすい煎餅なども一緒に食べるつもりだった。

と、頂いた煎餅を食べながら早乙女先生を偲ぶ。

 


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