本日の東京新聞に私が再婚前から調べている墨田区の江東橋一丁目町会の東京大空襲慰霊碑の記事が載りました。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/90150
この石碑は我が家の裏にあります、つまり台東区谷中の4丁目。
なぜ墨田区の江東橋の慰霊碑がと、台東区の資料、墨田区の資料、東京大空襲を調べていた早乙女勝元先生、国が調べた慰霊碑のデータベース、江戸東京博物館、東京都中央図書館、国会図書館、江東橋、谷中の聞き歩き調査、など、足立区立郷土博物館の調査員時代のノウハウと、戦記雑誌丸の記者時代の経験などを使って調べても出てこない。
おそらく公的記録から漏れているであろう記念碑なので今回新聞に掲載していただけて、3月10日には手を合わせていたという熊谷登久平にも喜ばれるかと思います。
この記事には書かれていませんが、私が調べていく中で建立した山中卯八さんは元首相の鳩山一郎氏の後援会に属しておられたことがわかりました。
熊谷登久平も鳩山一郎氏と近しく、選挙の時に一緒に立っていた映像がテレビに流れたことがあります。
鳩山氏は我が家にこられると幼いお孫さんと登久平の長男の久を遊ばせて、囲碁を打ちながら話をしていたそうです。
残念ながら、それを覚えておられた一郎氏が可愛がっておられた方のお孫さんは私が会いに行く前に急死されました。
山中卯八氏と熊谷登久平の共通する知り合いは鳩山一郎だろうとしか今は言えません。
リサーチャーオブワールドウォーツーって横文字の肩書きと、戦記ライターの肩書持って、足立区立郷土博物館調査員の肩書と煩悩主婦という肩書きで其々仕事してた私です。
20代の頃から人が書かない地味なことを自分が調べるという姿勢でやってきましたが、一部ミリ系には私の取材は地味で主婦の片手間でもできて楽だよねと揶揄われておりましたが、相変わらず地道に知りたいことを調べております。
それは長谷川利行も、熊谷登久平も、熊谷伊助も、上野の山の文人たちも、戦争も片瀬写真館も同じく私の琴線に触れたものです。
埋もれるかも知れない大切な思いを、これからも掘り起こし、今回のは墨田区の学芸員さんにある程度渡せました。
東京新聞のデータベースや国会図書館にも残ります。これからは記録がある状態になります。多くの縁と経験に感謝です。
今日は友人と日本橋の高島屋で開催中の大いわて展に、義父の熊谷登久平が好きだった一関市の江戸時代からのお菓子、#たむらの梅 を買いに行くも今年は出店してなく、世田谷のボロ市も今年はなく、買えない。
熊谷登久平展、池之端画廊さんにみえるお客様へのお茶受けに出したかった。
熊谷登久平展、今週で終わります。
帰りに日本橋の三越に我が癒しの甘露、#清浄歓喜団 を買いに行き一個を買えた。
清浄歓喜団は京都なら駅ビルが買いやすい。だが、売り切れの時はだから京都駅は某ガメラで破壊されんだよと暴言を吐きたくなるぐらい交通費を払っても買えない時は買えない。
ここ暫く忙しかったから食べれて幸せです。