熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

日付が変わっていた。墨田区江東橋一丁目町内の戦災慰霊碑など

台東区谷中4丁目にある墨田区江東橋一丁目の戦災慰霊碑のいわれは、私が調べた範囲だが、商業及び行政の資料の中にはなく、おそらく新聞等にも掲載されていない。
夫の幼馴染の僧侶が卒塔婆の文字で何処の寺が管理するのか推定してくれたおかげで菩提寺もわかったが、現在70代のご住職はいわれを詳しく知らず、江東橋一丁目に新しく建立された慰霊碑は知っておられるようだったが、個人情報保護があり聞けなかった。
それでまた石碑に名がある工場に電話をして、社史に掲載されてないかを尋ねた。

ご好意で社史をお借りできたが、その壮絶な情報量。
関東大震災から立ち直ったところに東京大空襲に遭い、血族、従業員、町内の人々の戦災死の惨さよ。
助かった人たちが、自分がなぜ助かったかもわからないような火の海。
累々とした焼死体の中に息子を見つけた母親の心労。

慰霊碑は今世界的な技術を持つ工場を作り上げ戦災を生き延びた父親と母親の慟哭であった。

建立した時には二人の名におそらく生存の朱色が入っていたろうが、母親の朱色は消されている。
日本が戦災から復興し、落ち着いてきた時に工場に新たに供養の観音様を建立し息子たちの供養を新たにした時に母親は倒れて亡くなっていた。

社史には戦前の旅行写真なども載る。
関東大震災から我が子を守った母親が子が成長し、事業を継ぎ落ち着き始めたところに戦争が始まり、従業員も息子も兵隊にとられていく。

身体の弱い息子と、長男がまだ東京に残っていたが、長男が工場疎開地を探しに留守にしたまに東京大空襲だ。

まだ纏まらないが、記録として残したいと思う。
幸い墨田区の担当学芸員さんとは早乙女勝元先生繋がりで付き合いがある。情報共有もしておいた。