何気ないお客さんとの雑談から引っかかるものが出てくる時がある。
近所のお寺に空襲被害者が仮埋葬されていた。
と聞き、気になっている。
今年も桜が見事に咲いていたお寺だ。
残念ながら仮埋葬関係者と思しき方々は亡くなっている。
そういえば、昔は空襲被災地だけでなく空襲被害者の仮埋葬地の幽霊談もあちこちで聞いた。
今回のことで読んだ、『戦災殃死者改葬事業始末記/東京都慰霊協会編』に上野公園の話しが出ていた。
上野公園の東側にある慰霊碑の辺りに8000人強の遺体が仮埋葬されていたとかなうろ覚え。
西郷さん辺り説は関東大震災時の臨時火葬の記憶と混ざっている?的な。
早乙女勝元先生がらみで台東区議だった沼田潔氏のことも気になり調べ始めた。
画家になるために上京され、絵も描いておられ義父の友人だった徳山巍画伯と共に台東区の美術会を云々とか漏れ聞こえてくるんだけど、資料がない。
以下メモ
東京都戦災史 数が合わない 1953年版
決定版 東京空襲写真集 検討過程の資料がない
東京都慰霊協会編
戦災殃死者改葬事業始末記 (1985年)(ルビ/
センサイ オウシシャ カイソウ ジギョウ シマツキ)
台東区図書館にはない。
上野公園 仮埋葬 遺留品資料
高射砲陣地
関東大震災時の遺体焼き場との記憶混在
仮埋葬は10日から、それ以前は棺桶に入れて保管し迎えを待った。
3月10日から追いつかない。
軍が埋葬した場所
都が埋葬した場所
電信柱 レプリカ
昭和22年の航空写真