昭和19年、義父の友人だった独立美術協会会員の宮崎精一の谷中初音町時代住所を見つけた。
谷中初音町2-3
友人の宮崎精一夫妻に谷中初音町の借家を紹介する。(熊本美術館で1988年に開催された宮崎精一展の図録より。)
『1943 (昭和18年)31歳
(宮崎精一は)図画教師をやめ、 上京。
荒川区尾久町の畳屋の二階を間借して制作に没頭する。
近くに軍の戦車工場があり、道路をタンクが通るたびに、四畳半二間がゆれて、 キャンバスがぐらつく。
熊谷登久平の紹介で、 谷中初音町に転居。
墓地の近くにあって静かな環境であった。
近くに島村三七雄、鶴岡政男、 堀進二、 熊谷登久平がいた。
熊谷宅には、時おり里見勝蔵が訪れ、 里見よりヴラマンクについて話を聞く。
青樹社展に出品 (白日会関係作家は、中沢弘光、 伊藤清永、 島村三七雄、熊谷登久平、 小島真佐吉、 川村精一郎、山道栄助、 梅津泰助、 平松譲、大河内信秀、吉川弘、 宮崎精一)
昭和7年、義父の隣に住んでいた林文雄
「谷中初音町2-7」
あ、その頃の熊谷登久平の住所は
「谷中初音町2-6」
近いじゃん。