早乙女勝元先生がかつて書いた青春小説「美しい橋」は1931年落成の白鬚橋周辺の物語り。
https://www.asahi-net.or.jp/~zr8t-iskw/utsukushii_hashi.html
映画とテレビドラマ、2回映像化されている。
岩手県立美術館所蔵の熊谷登久平の『落日』は1930年二科入選作品。
長谷川利行も描いた荒川区のガスタンクが見える風景を描いている。
義父は美しい橋の舞台あたりから描いたと思う。
で、この踏切はどこだろうと手元にある空襲被災地図を眺めつつ脳内で角度を変えてみたり。
これは踏切の遮断機ではなくてゲートバー(入り口の棒)かなとか。
以前、西日だからこっちかなぁとか自転車で現場近くをうろうろしたことがある。
熊谷登久平が落日を描いた昭和5年、1930年頃、1931年に掛け替えられた白鬚橋は鉄道併用橋だとか、京成白鬚線とか色々と点な情報の点と点で脳内錯綜。
白鬚橋辺りで描いた?
なかなか繋がらない。
早朝出発し、群馬県へ向かう。
憧れのこんにゃくパークに行きこんにゃくバイキング食べた。
唐揚げがとても美味しくて、家で再現できるだろうかと悩んでいる。
こんにゃくパークの近所にめんたいパークができて一年が経つそうだ。
めんたいパスタ美味しゅうございました。
めっちゃ気持ちよかった。
そして、群馬県豊岡市福沢一郎美術館へ。
福沢一郎は日本にシュルレアリスムを紹介した画家で豊岡市生まれ。父親は豊岡町長(当時は豊岡町)だった。
戦前、文京区道坂に福沢一郎のアトリエがあった。空襲で焼失。
彼は独立美術協会創立メンバーの1人。
創立からしばらくして独立美術協会にフォーヴィスムの里見勝蔵派とシュルレアリスムの福沢派な派閥ができ、福沢派の会合を里見派の熊谷登久平らが襲撃したことも……