熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

第4回 1950年 美術団体連合展目録 独立美術協会の主張

 

1950年05月
毎日主催の第四回美術団体連合展が一四日より開かれた。両陛下が一五日にはおそろいで御覧になつた。

https://www.tobunken.go.jp/materials/nenshi/2176.html

 

我が家に伝わるのは両陛下がご覧になった展覧会で義父が案内役だった場があり、そこに展示されていたのは義母をモデルとした作品であったと。

夫はその作品名を踊り子と聞いたと言っているが、どうなんだろう。

 

該当する昭和25年のまだ日本が占領下にあった時の美術展、美術団体連合展の目録。

私には気になるものだったので入手した。

ここに掲載されている熊谷登久平の作品名は「女役者」

ずっと気になっている。

 

独立美術協会の80周年記念誌の記述にはこの展覧会に参加したメンバーの名前が連なっているだけだけど、独立美術協会の主張の項目が、占領下であって言葉を選んでいるが強く印象的で。

また、他の団体の主張は当たり障りのないものの中で力強く。

ので、引用をば。

 

 

 

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↓まだ校正してないです。

老眼がつらい

主張
独立美術協会はほんとによい日本の油絵を作ることを発足の土台にしていた。
油絵はいままでイタリー、フランス、オランダ等で一流の画家が出て最も優秀なる作品を残している。
これらにおとらぬ、そしてただ倣であったり、追随であったりしないものを描き出したい。
といつて日本の在来の優秀なる日本画あるいは東洋の模倣だつたり、墨を油絵具にただ置き変えれるようなことなしに一流の絵を描きたい希望に燃えて精進して来た。
しかし、戦争のために実現は中途にして休止され残念ながら文字通りの完成には至っていない。しかし、戦い敗れたりとも今度初志を完徹せねばならぬ。

 

小史

里見勝蔵、児島善三郎、林重義、林武、川口軌外 小島善太郎、中山魏、鈴木亜夫、鈴木保徳、
伊藤廉、清水登之、高畠達四郎、三岸好太郎、福島一郎の十四人が結束して協会を起し第一回展昭和六年一月十一日より同三十一日まで東京府美術館において開催、同展を引続き大阪市 京都市 福岡市、名古屋市台北市に開催。
また九月十九日より同廿九日まで東京朝日新聞社楼上において開催、会員及び推薦作品を陳列、引続き京都市大丸呉服店において開催、爾来毎年春秋に一回ずつ展覧会を開催。

昭和二十年は戦争のため中止、同二十一年には輸送難、材料難等を考慮して自由品展となし同時に清水登之の遺作を陳列す。

同二十二年春には常態に復し作品も以前と変りなく力作多数集る第十五回展なり、第十六回は秋期にし、福岡、大阪、名古屋にて展示す、会員は十数年の間に異動あり、現在会員六三名となり、準会員五名、会友百中五名となる。


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戦前、女役者だった義母の房江。

女剣劇の男役だったそうな。

役者時代の資料などは夫が棺桶に入れてしまった。( ;  ; )

 

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