熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

熊谷登久平

思い出の浜町小学校

先日浜町に出かけたことで、以前から気になっていた思い出の『浜町・浜町小学校』を入手。 国会図書館にはあるが、今はコロナ禍で利用は抽選になっている。もう40年近く知りたかったことが載っていないか気になってもいた。 東京大空襲で焼け焦げた明治座の…

日本橋の浜町公園とか 義父とか 結城天鼓✖️結城康太朗展 東京大空襲慰霊の明治観音堂とか

義父が属していた独立美術協会の現会員の結城康太朗さんとお父様の 結城天鼓✖️結城康太朗展 〒103-0007 東京都中央区日本橋浜町2丁目30−7 水野ビル 1階 ART&CAFE+BAR あ・い・う。 今月30日まで。 義父の個展をきっかけに知り合った結城康太朗先生とお父…

10月の千厩の熊谷登久平生誕120周年展 中止

コロナ禍ですものね。残念です。 太平洋美術会のように展示してから直前中止になるよりは幸せかと思うです。 池之端画廊さんが2月に開催してくださったことに感謝です。 嫁の役目が少し果たせました。

揚げ出し

義父たちが好きだった揚げ出し豆腐の店が昔上野公園の山下にあったという。 そこは料亭で、画家の小絲源太郎の実家でもあり、独立美術協会のメンバーも食事をしていた。 ある人は洋画などの絵葉書屋も並びにあったというが台東区には資料がない。 今日、夫の…

田崎暘之助 「野ざらしの詩」の周辺 取材日記から 長谷川利行

義父の遺品、長谷川利行のスケッチブックの中には楽しげな仲間内ネタの詩や家の間取り図がある。 義父と同世代の洋画家の田崎広助氏の御子息が書いた小説の中に、義父の熊谷登久平と長谷川利行たちが皆でワイワイと一緒に住む家の間取りを描いているシーンが…

『結城天鼓✖️結城康太朗展』 浜町公園とか 浜町とか 空襲とか 高射砲陣地とか

結城天鼓✖️結城康太朗展 〒103-0007 東京都中央区日本橋浜町2丁目30−7 水野ビル 1階 ART&CAFE+BAR あ・い・う。 今月30日まで。 義父の個展をきっかけに知り合った独立美術協会の会員の結城康太朗先生とお父様の日中水墨交流協会顧問の結城天鼓先生の作…

魔界転生 のジュリー 谷中の大河内子爵

夫と映画魔界転生を観てジュリーこと沢田研二の天草四郎は色っぽいねと。 天草四郎に天草の乱のことで怨まれて殺される松平伊豆守を近所の大河内さんのご先祖様と騒いだり。 理研と理科大の大河内子爵のご先祖の松平伊豆守(天草四郎の首実験をした人)vs天草…

コロナ禍の喘ぎ 夫脚立から落ちた( ; ; )無事だけどもうやめて

義父の生誕120年と、柳屋画廊の遺作展から50年という節目に合わせてジタバタをして、池之端画廊さんのご好意で新春に個展を開催できた。 また義父のふるさとの千厩でもやれるかもしれない。10月に予定は組まれたがワクチンがどこまで行き渡るか、効果が実感…

熊谷登久平生誕120年記念展 岩手県の予定

コロナ禍ではっきりとは言えませんが、洋画家熊谷登久平生誕120年記念展が登久平の故郷岩手県の千厩で開催される予定になりました。 2021年10月6日から10日まで。 「一関市千厩酒のくら交流施設」の東蔵 熊谷登久平の最後の蒐集家の方から戦前の貴重な作品を…

今日も暑いので

知人がバテているのでポトフを差し入れ。 冷めても美味しいと私は思う。 義父の年表のことで相変わらず悩み中。

夫、モンパルの日々と近隣の坂 ワクチンの予約がとれた

我が家は上野の山のほぼ天辺で生活圏は坂に囲まれている。 夫、登坂10度までのシニアカーのモンパル生活になったので彼があれこれ調べていたらありがたいサイトがあった。「無意味つづり」 https://www.ne.jp/asahi/mim/tdr/index.htm三浦坂9度から10度 あか…

ふるさとこいし 熊谷登久平生誕120年

熊谷登久平は東京の利便性を愛しつつ、描くのは自然豊かな土地。 また、春を愛して多く描き残している。 東北の雪が溶けて春にを迎えるときの喜びを文章に残している。 末期癌の病床で自分の絵を求めたそうだが、残念ながら幼かった夫はそれがどの絵なのか覚…

金曜日なので鬱だけど、京都からの贈り物に感謝

夫の体調が良くない。 食べられそうなものを工夫して出している。我が家に連絡をくださる熊谷登久平の最後のファンがいる。 毎年春になると筍を贈ってくださるのだが、イノシシに食べられたりここ数年大変そうだった。でも贈って頂ける筍はとても美味しくて…

熊谷登久平が従軍画家逃れで入社した 東京航空計器株式会社 求人要項

東京航空計器株式会社 求人要項1枚を入手した。 義父は戦争画を描きたくなくて、徴兵逃れの画家版の国策会社に入ることを選んだ。 元々豪商の跡取りとして門前の小僧的な商才と人を使うことに生まれた時から馴染んでいた登久平は(中央大学商学部を卒業)人脈…

美術手帳 1935年 10月号

美術手帳 1935年 10月号が、欲しい。 データベースに入ってるのでは写真が潰れている。 (T ^ T)

里見勝蔵、交流関係メモ 水上文政

「中央市大鳥居の豊富郷土資料館は、大正時代から昭和時代にかけて活躍した画家山喜多二郎太(1897~1965年)が描いた水墨画を展示した「懐かしの水墨画展」を開いている。展示しているのは、同所出身の水上文政さん=東京都=が郷土資料館に昨年寄…

初版ではないが、悪の華 熊谷登久平と矢野文夫と里見勝蔵

熊谷登久平が出した葉書などを偶にヤフオクに出す方が、義父の一関中学時代の同級生の矢野文夫氏が、義父の恩師の一人である里見勝蔵氏に贈呈した『悪の華』を出しておられたので落札した。 そしたら某凄い冊子を義父が予約して購入した記録のコピーをおまけ…

住む世界が違う

破綻した文章が届いた。 これだけ私への不満を延々と並べられるほど我慢しなくてもと、早く言って欲しかったと思う。私が私を天才と自画自賛した的な指摘もわけわからない。 『1930年協会の作家たち展/和歌山県立近代美術館 昭和55年(1980)』を読み直す、…

長谷川利行と 徳山巍

義父と長谷川利行の共通の友人、徳山巍さんの息子さんのブログが更新されていたのでリンクと一部。徳山巍と熊谷登久平は小石川区にあった川端画学校で知り合ったと思われる。 戦前ある程度実績を積み、谷中にアトリエを持った仲間でもあったが徳山巍さんの谷…

うーん

文京区が旧小石川区関連の展示をすると友人から教えてもらった。 義父が通っていた川端画学校の資料があると嬉しいが、どうだろう。 https://www.city.bunkyo.lg.jp/bunka/kanko/spot/museum/rekishikan/syuuzouhinten03.html

美術倶楽部海外旅行部の広告など、昭和39年1月発行 美術家名鑑

義父は昭和38年のパリ祭の頃に2カ月ほどオランダ航空が企画したらしい美術家用のツアーで渡欧をしたが、その資料が探せない。『ねんきん 表紙のことばより。 ムーラン・ルーデュ 熊谷登久平 カトルルゥゼ、巴里祭の日が来た。 フランスの三色旗が、三本づつ…

しつこいが、1930年、昭和5年7月の熊谷登久平 一関町の白い時計台の千田

私は高校生時代に西明石駅の壁面を借りて仲間と『イラスト展』を主催して新聞にも取り上げられたことがある。 展示に参加したのは道原かつみ、森脇真末味、明智抄、を含む中学高校の美術部系と短大などて絵をやっていたメンバーだった。で、同じような熊谷登…

某日、鳳明館本館に泊まり登久平縁の土地を散策した

あの、本郷菊富士ホテルの近所の 鳳明館本館 に主婦友達と宿泊。 部屋はさだまさしが使用した弥生の間。友人宅の極徒歩圏内だし、我が家からも遠くないのでいつでも行ける感覚だった。 その歴史ある鳳明館がコロナ禍により今月で休館する。 この辺りも義父の…

夫の介護保険利用のための申請をする 公務員苦手意識が強いので結構しんどかった 金曜日

夫は62歳になったばかりだけど、日々体調が悪くなり、もう歩行困難となっているので区役所に車椅子のことなど相談電話をした。 すると、夫の脊椎管狭窄症は介護保険の対象とのことで、地域包括支援センターに行くようにと助言された。てか地域包括支援センタ…

夫の下半身 義父が通った川端画学校あたりと都立戦没者霊苑

義父が通った川端画学校があった場所は謎、住所の下富坂町は昔『川端』と呼ばれていたとも言われているが、川端画学校があったから川端か、出身者の回想による雨が降ると水が出る低地の川ばたなのか。 古地図を調べたいけど、文京区の施設もずっと休館。文京…

どなたか亡くなられたのだろうなと

この文は誰が書いたのだろう。 義父が亡くなった後、絵を持っていった人なのか、義母が差し上げた方なのか。 サインなしの場合は家人が裏書きをしたケースもあるのだけど、もしくは頼まれて息子がサインをしたものも偶に出る。お弟子さんたちが手伝った時の…

旧制一関中学美術部出身者の結社「オンバコ社」

『画家 白石隆一の生涯 -美は脊椎にあり』小池平和著出版社 本の森 発売日 1997年11月23日 以下80頁より一部抜粋。「また、郷里一関でも、昭和五年、一関中学校出身の美術家が、郷里に残っている者も上京中の者もふくめいっしょに集まって「オンバコ社」とい…

わぁ、凹んだりして

予定が入っていたのをキャンセルしたつもりになってて、してなかった。5月1日に一件を除き一斉にキャンセル入れたつもりだった。今日は谷中霊園と史跡を周る勉強会の予定だった。 楽しみにしていた企画だった。 (T ^ T)旧制一関中学を卒業した美術部員たちが…

一関地方ゆかりの人物辞典

http://www.npo-ichi-bunka.com/public/index.html 一関文化会議所が発行している『一関地方ゆかりの人物辞典』を入手した。 画家枠に千厩出身者はなかった。 もちろん義父の熊谷登久平も、白石隆一さんもない。 義父はともかく、白石氏は一関市の美術指導者…

千厩の絹織物

夫と義父が美しいと言っていた千厩の絹と織物を見たいねと話していて、昭和50年代にその絹が復活していた事を知ったが業者さんの通販サイトがエラーになる。 で、メルカリで見つけたので、しかも名刺入れとストール、今は製作されてない商品だ。 一つは岩手…