熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

わぁ、凹んだりして

予定が入っていたのをキャンセルしたつもりになってて、してなかった。5月1日に一件を除き一斉にキャンセル入れたつもりだった。

今日は谷中霊園と史跡を周る勉強会の予定だった。
楽しみにしていた企画だった。


(T ^ T)

旧制一関中学を卒業した美術部員たちが、昭和初期に上野の松坂屋で展覧会をやったという話の裏付けの為に一関の古本屋さんから購入した『一関一高百周年誌』(鈍器)などをじっくりと読む。
80周年誌、百周年誌に目当ての記載なく、『あゝ青春 一関一高』の美術部門になると熊谷登久平の名もなく、古本屋ガチャ辛い。

上野の松坂屋の展覧会は多分、岩手県出身画家たちの会の北斗会が混ざっているのだろう。

(古本屋ガチャの当たりは、ソーシャルゲームFGOのガチャよりはずっと良いので文句を言えないが、切ない)


また、一関中学美術部出身者たちの「オンバコ社」これも資料が欲しい。
たった数行に過ぎない文章や、記憶力は良いが断片だけの夫の思い出の裏付けに私はかなりの本を購入している。
つか、ノンフィクションとして書いたのなら参考文献一覧も書き残して欲しかった。
誰から聞いたのか、もしくは読んだのか、教えてほしい。


旧制一関中学、義父が通った時代はまだ士族の生徒が威張っていたとの記述も他で読んだが、まぁ、母も士族なのを誇りにしていたので城下町ならそうだろうとは思う。義父の同級生だった矢野文夫氏の随筆にも士族の誇りのようなものを感じる時がある。

一関の博物館も刀に力入れている感じだし、伊達を守るための城下町だもんね。

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