熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

災害 

メモ 感震ブレーカー

東京都がやっている木造住宅への感震ブレーカー無料配布の申請締め切りが近づいている。 対象地区の家にはチラシが配られているかと。 我が家というか谷中4丁目は対象外エリアだった。 術後のにゃあちゃん、誰も信じないモードが続いている。がご飯はある程…

今日もイタメシ

ぬこは可愛い。エアコンの下はしっぽちゃんの特等席で、一階のエアコンの下もしっぽちゃんのもの。 出かける準備をしている私に対して書籍流をおこすにゃ的な脅しをかけて、私がとめたので逃げて、窓とカーテンの間に隠れたつもりのねこ。 この窓を開けると…

雨の9月1日 大正12年、義母は浅草で生まれたてだった

私の母は戦争と自然災害が大嫌いだ。 夫の母、私にとっての義母も戦争と自然災害が大嫌いで、今の家を作る時に耐震をかなり主張したそうだ。 義母は浅草区で植木屋の子として生まれて被災して、深川区の海に近い被災住宅、バラックに住み、子を亡くした家に…

江戸川区の葛西に

日暮里駅、根津駅が徒歩圏内の娘が、中央線の荻窪駅近の戸建て友人と江戸川区の東西線の葛西駅近くに住むことになり準備が進んでいる。 江戸川区はコロナワクチンが進んでないじゃんと私が心配すると、2人とも2回接種が終わっていて大丈夫だと。 スーパー堤…

京都が赤い

京都大学病院と京都府立大学病院が並んで声明を出したことに驚く。 これが初めてではないそうだが、赤い。 女子高時代の友人が京都に嫁ぎ、産まれた子どもに難病があって、この二つの大学の派閥争いを嘆いていたのは30年ほど前。 多分東京はもっと赤くて燃え…

スケジュールはずれていく

コロナ禍なので予定が立たなくなっている。 どうなるのか不安。 晩御飯は夫の好きな『完熟トマトのハヤシライス』を使ったハヤシライス。肉は夫の幼馴染から分けてもらったエゾジカ、牛筋で出汁。玉葱は義父のファンから送ってもらったの。 ニンジンとマッシ…

コロナ禍の喘ぎ 夫脚立から落ちた( ; ; )無事だけどもうやめて

義父の生誕120年と、柳屋画廊の遺作展から50年という節目に合わせてジタバタをして、池之端画廊さんのご好意で新春に個展を開催できた。 また義父のふるさとの千厩でもやれるかもしれない。10月に予定は組まれたがワクチンがどこまで行き渡るか、効果が実感…

孫は可愛い

孫がきた。 来るなと言ったのに孫がきた。 一年半会わない間に大きくなり数を理解している。 おばあちゃん頑張って孫が大好きな揚物沢山作った。 晩御飯、息子夫婦は久しぶりに根津のラッキーカレーが食べたいと言うのでテイクアウトをお願いした。 熊本出身…

母の誕生日

正直、まだ精神的にしんどいし体調も悪いので昨日今日も眠れなかった。今は5時前だ。 今日は母の誕生日だ。 母の実家は戦前の中流階級だったので、面倒なお嬢さまであった。家が空襲で焼け、地震もあり、伊勢湾台風でも被害を受けて再起できなかった家だ。そ…

昨日の地震で結構慌てて仙台の親友の生存確認をした。彼女は介護で体調を壊しているし、ご両親は歩けない。 無事だと返信がありほっとした。台東区のリサイクルショップが閉店するそうだ。義兄の久さんは職人のコケシをここで見つけるのが好きだったそうだ。

東京新聞 したまち支局版 東京大空襲の碑 熊谷登久平 寿郎 明子 

本日の東京新聞に私が再婚前から調べている墨田区の江東橋一丁目町会の東京大空襲慰霊碑の記事が載りました。https://www.tokyo-np.co.jp/article/90150 この石碑は我が家の裏にあります、つまり台東区谷中の4丁目。なぜ墨田区の江東橋の慰霊碑がと、台東区…

昔、川端康成が住んでいたあたりに紫陽花が見事な一軒家があり、紫陽花の時期に門越しに眺めるのが楽しみだったが空き家となり取り壊された。 そこから来たのは鼠が天井裏を走るようになり、それを追ってハクビシンも天井裏を走るようになり凄い音と鼠の断末…

熊谷伊助の孫が撮影した写真

岸田劉生が関東大震災で被災をして、屋根の上に家族で避難している写真は結構有名だけど、それを撮影したのが熊谷登久平と同じ生家から出た熊谷伊助の孫。 伊助の血統の片瀬熊谷家の当主の話だと、岸田劉生 と当時の当主はよく知った仲だったそうで、同じ頃…

今日の鴎外荘、谷中銀座、ザクロ、谷中の地域猫のラブちゃん

鴎外荘は営業していない。本当に終わってしまった。谷中銀座、平日は人が少ない。 ザクロはお客さんが多く、今度は娘からリクエストされた丸どりが売り切れていた。谷中の図書館はやってはいるが開架で本を選べない。 予め家からリクエストをして図書館の窓…

明日は大変な暴風雨になるとか

お世話になっていた千葉県の東庄町は大丈夫だろうか。 東庄町は戦後50年の頃、若い町長さんが頑張っておられて、それをベテランの人たちがこれからを思い支えておられ、洪水の歴史もふまえて治水にも力を入れておられた。 若い町長さんは長い視点で行政を考…