熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

熊谷登久平

奉祝800年祭 一関

義父の一関中学時代の同級生の矢野文夫氏はのちに長谷川利行を矢野氏に紹介した千葉青花氏と共に、平泉観光案内の本を出している。 千葉氏は大正11年に亡くなるが、その頃の一関から平泉は藤原清衡将軍800年祭の準備に沸いていたかも知れない。1919年大正8年…

腕枕

義父の短歌には腕枕を書いたものが数点あり、それは誰だろうかと。義父の短歌にはピロートーク的なものはない。 春画は結構残っていて、良い絵もある。 渡航した時にコミュニケーションに役立てたような作品もある。 あ、美術の世界ではスケッチなどは作品と…

千厩紬

熊谷登久平が書く千厩は絹の産地で女工さんが沢山いて、晴れの日は着飾り、また四季折々の色彩豊かな世界だ。熊谷家に残る写真にも義父が懐かしむ風景があり、それは階級社会で豪商と呼ばれた家だからあった日常ではあるが、美しい。雪が降りつもり、家に籠…

潮来とポプラ 熊谷登久平

熊谷登久平が残した作品の中に潮来がある。 中学生時代の水彩画と、画家になってからの油絵、そして白日会の雑誌で発表が初出であろう随筆がある。 中学時代の水彩画は旧制一関中学の修学旅行時説があるが、確認はできてない。油絵の潮来は描き方で見ると戦…

メモ 熊谷登久平 長谷川利行 林房雄 昭和7年の隣組

https://www.yanaka.blog/entry/2020/08/03/林房雄氏の谷中初音町の番地義父が林房雄氏に貸した古代羅馬のインク壺は、義父の隣の家に住んでいた林房雄氏が静養と称して鎌倉に出て、そのまま持っていってしまい熊谷家には返されず、今は何処にあるのかわから…

一関からの

一関の古本屋さんで義父の資料を購入し発送トラブルはあったものの、今日到着した。 しらけど、宅配業者さんがうっかりスプレーオイルの上に置いた為に惨劇。 やっと手に入る喜びがどん底気分になり、多分血圧が上がり過ぎて具合が悪くなった。一関の古本屋…

あのロベール・ギランが書く熊谷登久平  池之端画廊ロバート・クラウダー展

戦前戦後の歴史好きなら結構お世話になった日記を残している知日派で親日派のように語る二枚舌と言われるロベール・ギランによる熊谷登久平の評論。 我が夫である熊谷寿郎の母校上野中学の向かいにある文化財研究所の予約がやっととれて、全文を読めた。デジ…

牛歩なら進むが、机上では進まない

コロナ禍がおさまるのを期待して、日本の家で調べられる資料でやってきたけれどダメそう。 せめて親戚や関係者にワクチンが行き渡らないとダメだろう。東京が調べ物に便利なのは知っているが、岩手県に行かなければ読めない資料もあるわけで、去年は4月から…

2年続けた。

ここは、勝海舟が熊谷伊助を偲んだ歌碑の案内板がトンデモな内容になっていたり、熊谷登久平が持っていた長谷川利行のスケッチブックについてあちこちに寄贈を連絡しても、相手してもらえなかったので熊谷登久平と伊助のことを騒いで足掻いて沈殿状態から浮…

義父のお弟子さん鴨下葉子さんの個展 

銀座の銀座K's Galleryにて熊谷登久平の最後の弟子、鴨下葉子さんの個展があり鑑賞する。 〒104-0061 東京都中央区銀座1丁目13−4 大和銀座一ビル6F 京橋のギャラリー川船さんまで歩き、川船さんと戦後京都駅での画家たち乱闘事件というよりリンチだよね…

読みたい論文 専門書高い(T ^ T) 抜刷りあると嬉しい。

我が家と一関の親戚に残る学芸員がやったのであろう熊谷登久平の調査の痕跡。書き文字に特徴があり、ほぼ特定しているがコロナ禍でお会いできず相手さんが前年度に定年退職をされたと知り、血の涙を流している。 その方が岩手県出身の洋画家萬鐵五郎の研究を…

千厩小学校 熊谷登久平の母校

昭和50年代後半に千厩小学校の校長が義父に送ってきた手紙が我が家にある。 その頃千厩小学校の校長室にかけられていた熊谷登久平の絵は美学校時代のものと思われ、イタミガすすみ新しい絵が欲しいと義母に手紙を出したら寄付してくれてありがとう的な手紙。…

坂口安吾 「夜の王様」 挿絵は熊谷登久平

熊谷登久平が坂口安吾の挿絵を描いていた話をしても、結構信じてもらえない。 熊谷登久平は挿絵や装丁もやっていたし、戦前はトクホンと契約をして広告の絵は登久平。画家やってたからそれぐらい当たり前だという人も実際いたが、挿絵をレギュラーでもらえる…

熊谷登久平 年表 制作中 メモ1

明治34年(1901年) 10月2日、岩手県東磐井郡千厩町に、熊谷喜造(二代目半兵衛)とまつみの長男として生まれる。 本名、徳兵衛。大正8年(1919) 18歳 一関中学を卒業 「潮来の村」 大正10年(1921) 20歳 この頃上京し、中央大学商学部に学ぶ。 また、川端絵画学校…

鴨下葉子展 銀座K's Gallery 4月12日から

鴨下葉子展 銀座K's Gallery(ギンザケイズギャラリー) http://ks-g.main.jp/exhibition/20210412/index.shtml4月12日から義父のお弟子さんの個展です。 鴨下先生の記憶の中の我が夫の寿郎は、いつもピアノを弾いてるおぼっちゃん。https://ja.m.wikipedia.…

文化財研究所 予約メモ 田中佐一郎画伯の戦争記録

熊谷登久平こと徳兵衛が長谷川利行と2人展を開く告知が載っている。アトリエ 昭和2年12月号の「反大調和二人展」の宣言文。 戦時中日本に軟禁された、あの、ロベートギランが戦前に書いた『みづゑ。1940年5月426号独立美術第10回展覧会評の中の熊谷登久平絶…

輝け原石! 独立春季新人選抜展2020 と、戦前に熊谷登久平が乱闘をしたらしい韻松亭にてランチ

http://www.dokuritsuten.com/shinjin/2020/winner.htmlかつて、いや今も独立美術協会の会員になるのは大変。 我がイケメンな義父の熊谷登久平は独立美術協会の前身の1930年協会時代から出品を続けて、独立美術協会第1回からもずっと入選していたが、賞をと…

岩手日報 2021年3月13日 文化欄にて

熊谷登久平の従弟の息子さんが一関の図書館で撮影してきてくれました。 岩手日報は戦前の盛岡での熊谷登久平展の時のスポンサーで戦後も多分あった。かな。戦前の一関での個展は岩手日日新聞。仙台は河北新聞。気仙沼は大気新聞。山形は山形新聞。山形に関し…

岩手日報 3月13日に熊谷登久平の記事が出たようです

今日、盛岡の方から岩手日報に記事が出ていたと教えていただくも、いつの新聞に掲載されていたのか分からず、岩手県の千厩の図書館に問い合わせて調べて頂いた。 ありがたいことに、千厩縁の記事のファイルに入ってたそうで3月13日の記事だと教えていただけ…

ヤフオクの長谷川利行 模写 熊谷登久平のシール付き

何回も書いているが熊谷登久平は長谷川利行の贋作騒動に巻き込まれていた。死ぬまで後悔していたのは別紙に鑑定を書いて本物に貼ったはずなのに剥がされて長谷川利行の贋作に貼られたこと。晩年に裁判を起こそうとしていたが倒れて終わってしまった。 残念な…

戦前に義父が所属していた白日会

白日会に熊谷登久平が持っていた戦前の資料を少し届けた。 今の事務局の人たちは存在を知ってても見たことがない品々。 戦前の写真も熊谷登久平と仲間だった村上鉄太郎氏のお孫さんが持っているものは貴重だとのことで、コロナ禍が落ちついたらとなった。白…

ぶらりぶらぶら #櫻木画廊 結城康太朗展 メッサーシュミットの櫻木画廊

宴の終わり 

朝電話があり江東橋一丁目町会の東京大空襲慰霊碑にご案内をした。 誰かが花を供えてくださったようだ。 線香は夫が供えてきたけれど花は久しぶりだ。池之端画廊さんから熊谷登久平の絵を持ち帰ってきた。昨日美味しそうな行商さんがいた。

長谷川利行と岩手県の人たちと熊谷登久平

おかげさまで、熊谷登久平生誕120年と日本橋の柳屋画廊での遺作展から50年の個展は開けたので、次は美術館で熊谷登久平の作品を複数並べるのが夢。 目指せ長谷川利行のパセリから前菜。明日は国土地理院の予約が取れたので熊谷登久平の口伝、オーラルヒスト…

燃え尽き症候群なう

コロナ禍で萬鉄五郎記念館の企画展に行き損ねた。 いつかはここにも義父の絵が入ればと夢見てる。 熊谷登久平も岩手県出身の洋画家で野獣派だからいつかは。 生誕120年を岩手県でやりたくて、でもやり方がわからなくて、地域史からアピールするしか思いつか…

ありがとうございます。熊谷登久平展

美大の名誉教授やあちこちの美術館の元館長が何人もお越しくださり、熊谷登久平忘れられてないと感激の涙でした。所属していた白日会と独立美術協会の会員さんも来てくださいました。 独立の方たちから異口同音で私が知らない暴れん坊登久平のエピソードまで…

ありがたく

岩手県の千厩以外では50年ぶりの熊谷登久平展。 明日で終わりです。 独立美術協会の重鎮も来てくださり、死ぬまで会員だった義父も喜んでくださっているかな、あきちゃん偉いと褒めてくださるかな。今日も嬉しいお客様が次々と来てくださり、しかも雨なのに。…

結構嬉しい。とても嬉しい。

美大の名誉教授が来てくださり、熊谷登久平の資料を褒めてくださった。私がとても参考にさせて頂いている近現代美術の研究者さんが来てくださり熊谷登久平の絵と資料を褒めてくださった。 褒められ慣れてないので戸惑いテンパったけど、嬉しかった。私は美学…

蜻蛉

池之端画廊さんに季節外れの蜻蛉がいて、儚いと思いつつ昼過ぎのこれから冷えてくる外に出しました。 お好み焼き食べました。

右往左往してますが、#田むらの梅 はお出ししました。

東京大空襲の日です。 手を合わせるしかできませんが、うちの裏の慰霊碑に手を合わせました。熊谷登久平展、今週の日曜日までで終わります。登久平の弟さんの息子さんが来てくださいました。 また千厩の方も来てくださいました。 一関市出身の洋画家で登久平…