ここ数日、噛み合わない会話で疲れている。相手は目上になるし。熊谷家にとって良いことを言っておられるから、そこには私個人が存在してない。私が自分勝手になる。
良い奥様、母親、娘ってなんだろう。
還暦過ぎて問われる私って、家庭的ではないのだろうな。
その家庭的じゃない女を配偶者に求めた今夫は、噛み合う会話と趣味と美味しいものが欲しかった人なので、私に批判的な人はそういうのを彼に差し出すべきだったと思う。
ご飯の用意も結婚してから次々と出前をしてくれる店が閉店しただけで、義母と義兄が存命の頃から出前はとる家で、義父が元気な頃はお手伝いさんがいて運転手つきの自家用車(当時は珍しかったベンツの車体)で銀座に食べに行っていた育ちなので、求婚時に「やれる家事は自分がやる、食事も作れる時だけで良い」とまで言ったの、一人暮らしが辛かったのだろうな的な。
雑談で、居間でくっついていると夫大好きな猫がむりくり間に入ってくるのは可愛い。
嫁いで来るときにB-29のプラモデルや『謎の円盤UFO』『スペース1999』『ウルトラホーク』の模型などを持ってくるような人はあまりいない。
それは「就活」を私に勧める人にとっては良い嫁ではないだろう。
早乙女勝元先生に現場取材と裏付けの大事さを教わったので、義父関係の資料も裏付けやるし。
申し訳ない、私は何故怒られることになっているのか理解できてない。
義父の作品で修復して残したいとても良いものがあるので、その資金のため、あと没後130周年展の費用のために就活はした方が良いとは内心思っている。
夫の懸念の一つであった高校時代仲間たちと制作したセルアニメ『宇宙戦艦ムサシ』。
完成後は池之端にあった区の施設で上映会を開き、その時の話しは私もダイコン関係で何故か聞いていた。
この夫たちの制作グループ、エヴァンゲリオンなどでも活躍したアニメーターの(当時高校生)増尾昭一さんもその仲間。
夫たちは還暦の同窓会で増尾さんにそのフイルムを上映するサプライズを計画していた。
晩年の増尾さんは当時の仲間にまた密に連絡を撮るようになっていた。夫には電話番号を共通の友人に託していた。
残念なことに増尾さんは57歳で亡くなられ、計画は白紙になった。
そのため、フイルムは制作スタジオでもあった我が家で眠ったまま、ぶっちゃけ死蔵。そのまま朽ちていく可能性もあった。
だが、オタクな元職業婦人であった私からしたらこのフイルムは貴重な時代の証言者でもある。
そこで、私の担当編集さんでもあったJUNEの元編集長の(オタクの始祖世代)佐川俊彦さんと庵野秀明展に行った帰りに相談をして、 庵野さんたちが立ち上げた『特定非営利活動法人 アニメ特撮アーカイブ機構』に連絡をし、結果、無事納めた。
コロナ禍などの影響もあったけど、フイルムは無事デジタル化でき、今日データが届いた。
夫たちの青春作品、上野高校、岩倉高校や上野公園、不忍池、谷中墓地なども出てくる。
思春期の夫たちの情熱。
(私なら恥ずかしいが、それがいい)
増尾さんは亡くなられたけど、デジタル化が無事できて良かった。
この宇宙戦艦ムサシに出てくるオリジナルキャラクターが、『プロジェクトA子』にしれっと出ていたとかいないとか。
機械脈91
酸素97
脈実測84 不整脈あり
体温36.6
血圧118-74