熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

奉祝800年祭 一関

義父の一関中学時代の同級生の矢野文夫氏はのちに長谷川利行を矢野氏に紹介した千葉青花氏と共に、平泉観光案内の本を出している。
千葉氏は大正11年に亡くなるが、その頃の一関から平泉は藤原清衡将軍800年祭の準備に沸いていたかも知れない。

1919年大正8年に4月10日に史跡名勝天然紀年物保存法公布があり、それ以前から平泉は整備されつつあった。かも。

1921年大正10年には旧一関藩主田村家正門が毛越寺山門として移築されたと、年表にあり、一関の士族としての誇りがあった矢野文夫氏は思うことがあったのではないかしら。

https://www.town.hiraizumi.iwate.jp/heritage/history/nenpyou.html

など、思いながら入手した一関と平泉観光案内と、国会図書館のデータベースで読める矢野文夫氏と千葉青花氏の平泉観光案内の本を眺め比べている。

漠然と

また登久平も乗ったであろう一関発の東京行きの列車の本数の少なさよ。


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