ありがたいことに、母の母方の従弟の川上景也さんの陶版画を入手した。
祖母の家は義父の恵那地方の旧家で曾祖父は政治家だったとかで、熊谷守一画伯の家とも交流があったと聞いていた。
それゆえか母の姉も画家を目指して女子美に入る予定が戦争激化で中断し、夢破れて衰弱死をしたと聞く。
なので祖母は画家になった甥を可愛がり、彼がプレゼントしようとした赤い薔薇の作品を買った。
その赤い薔薇の陶版画が私はとても好きで、祖母宅に行ってそれを観るのが好きだった。
祖母が亡くなり赤い薔薇を片見分けに欲しく、私は結構包んだが有耶無耶になり、絵も見当たらなくなり従姉に聞くと倉庫にあると。
倉庫に眠らせるなら譲ってくれと、金額も提示して受け取りにいったら「あきちゃんが余りにも欲しがるから惜しくなった」と。
で、薔薇の絵は今も彼女の家の倉庫だ。
それがたまたま赤いハイビスカスを買うことができて、画家の息子である夫に見せたら「良い作品だね」と言ってもらえて嬉しい。
熊谷登久平が長谷川利行と知り合うきっかけとなった千葉青花のことを調べたいが一関市の博物館には資料はないとのこと。
矢野文夫氏が書き残したものしかないのかもしれない。千葉青花は関東大震災前に一関に帰郷し、亡くなったと矢野文夫氏は書いている。
しかし、菩提寺や遺族のことは書き残しておらず、私は痕跡を探している。
熊谷登久平、岩手県の博物館施設がやりたいと思うぐらいのパワーが登久平に足りないなら、長谷川利行と岩手の文人と画家的なのにしたら如何だろうかと。
今私が知る長谷川利行と同じ写真に載ってる岩手県人が、熊谷登久平、矢野文夫、松本俊介、佐藤寛、千葉青花かな。
その中で千葉青花だけが詳細不明だ。
矢野さん青花のこと、もっと書き残して欲しかったです。