熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

矢野文夫さんの絵がまたヤフオクに出ている。しかも大作だ。

戦後、義父の熊谷登久平十と長谷川利行への扱いを巡り喧嘩になりわかれた、旧制中学時代の同級生で上京後も親交があった詩人で日本画家の矢野文夫氏の作品が、去年から良くヤフオクに出る。
初夏からは連続で出ている。
ファンか関係者が亡くなられたのだろうかと、思っているけど、NHKの美術番組に出演し、三越で何回も個展をやり、有名な企画画廊でも個展があり、一関市が単独展をやった画家の作品にしては安いのではないかと私は思う。

私は義父の絵の方が好きだけど、矢野氏の絵も良いものは良い。

矢野氏は長谷川利行が好き過ぎて、独占欲が出たのではないかなと感じる時がある。
熊谷登久平は「細君に養われている貧乏な男」とか書かれるようになったのは矢野氏が登久平の死後に登久平の書いた随筆に書き加えてから広がり、遺族としては気分が良い話ではなくなっている。
最近出た『長谷川利行の絵 芸術家と時代、大塚信一著、作品社』の描写なんて酷いものだ。


登久平を支えた妻の記述が女給になったのも矢野氏の加筆から。
でも登久平の妻その1である彼女が女給だった時期は短い。

その後、彼女は藤田嗣治が内装などを手掛けた銀座のカフェ「サロン春」のマネージャーには請われてついたらしいし、夫の記憶では英語を話せ、外国人の来客の時は彼女と義父が対応している。
チャップリンとも会ったとか色々伝承はありすぎるが、博物館でも勤めていたそうだし、義父が画壇に入ったあとは支えた夫人として盲腸で入院しても新聞ネタになっている。
美人だし。
女学校出で教養があり、義母が「おばあちゃんはなんでも知っている」と話していたのを熊谷登久平の次男の夫は覚えている。

それを単なる女給と下げるような加筆を義父の死後にした矢野氏は謎だ。
おかげで言葉遣いの悪い女として書かれている作品もあるが、上方言葉で上品だったと彼女の手料理を食べた義父の従弟たちは異口同音で話してくれた。

彼女は戸籍制度の犠牲者だと思うので、下げられて書かれているのは結構嫌だ。
つか矢野氏も彼女のハイカラな手料理を食べただろうに。

義母に外国の礼儀作法を教えたのも彼女だ。


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