熊谷登久平の評は「文章がうまいとは言えない」
と一関市が出した本に書かれていたり、絵に関しても下手とか色々書かれている。
文章がうまくないが長谷川利行のことはうまく書けているような評価だけど比較対象が矢野文夫氏なので、その評を読み直すたびに何を読んだのかが気になり、義父が書いたうまくない文章を探し続けている。
でも今は図書館閉まっているから困る。
府中市の美術館は義父の資料で相談している美学の人の古巣で、近現代美術史の蔵書が結構あると教えてもらっている。
しかし我が家から府中美術館は遠く、宿をとり通う方が安くつくと思い計画していたらコロナウイルス騒動だ。
府中美術館は空いているし行こうかな。
戦前、若き熊谷登久平、柔道二段とか三段とか四段とか諸説あるが。
恩師の里見勝蔵先生に反発しているグループが密談をしている上野山下にあった蕎麦屋の二階に中央大学応援団長時代の裏地が深紅のドテラを着て乱入し大騒ぎになったのは美術史に残っている。
この蕎麦屋は何処だろうか、中町にある蓮玉庵は戦前は場所が近い気がするとか思いつつ、どうなんだろう。