熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

長谷川利行の絵: 芸術家と時代

編集として作家として大ベテランの大塚信一氏による長谷川利行評伝。
夏目漱石の小説、三四郎長谷川利行の人生を重ねる新しい切り口。
今入手できる長谷川利行の本では一番交流関係が書かれているし纏まっている。

https://www.amazon.jp/dp/4861827817?ref=ppx_pop_mob_ap_share

編集として作家として大ベテランの大塚信一氏による利行伝。
私の知らない資料が使われていないかという失礼な読み方をした。
長谷川利行伝としては目新しい情報はなく、よく纏まっている。
だがあちこちで引用され続けた文章のつなぎに、できれば書き手の背景が欲しかったし、戦前の美術史を知っている読者層を前提とするのではなく、庶民にも人気があった利行に合わせ、当時の画壇の時代背景ももう少し詳しく読みたかった。

私ごとで申し訳ないが、義父の熊谷登久平の情報は死後矢野文夫が書いたのを採用しているので事実とは異なる描写もある。

三四郎が歩いた愛染川のある場所、そのあたりで矢野文夫や熊谷登久平と人生の交差があったが、矢野文夫と熊谷の随筆では時代がズレる。

長谷川利行と熊谷登久平が出会ったのは学生時代ではない。
熊谷の中央大学と川端画学校卒業後、画家になりたいと言い父親に勘当されて慣れない労働をし結核で熱海の診療所で静養して東京市に帰ってきてからのことだ。
熊谷に寄り添っていた女性はその間献身的に寄り添い、結核の間も支えた女性であり、妻として熊谷家にも認められていた。
生活費は豪商の実父からの送金が途絶えただけで、慣れない労働をした為に身体を壊し、慌てた母親の裕福な実家や一族からの仕送りがあった時期である。

長谷川利行が女を抱いたか抱かないかについても矢野氏の曖昧なものを採用しているが、矢野版でも抱いた話がある場合もある。

長谷川利行の死後、天城氏が遺骨を祀り、まるで神格化するような動きもあったが本作にも利行を求道者のように書いているように取れる部分もあり違和感を覚えた。