熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

チビのいない日々

ペットロスが酷いというか、先週のアッシュも辛かったけど、ハチワレのお喋りで愛情表現半端なかったチビのロスが今も辛く。
この家に嫁いで一番お喋りをしたのがチビで、人間の家族は日本語なので気持ちを通じ合うのは難しいけど、チビは常に沢山話してくれたし擦り寄ってくれ私の存在意義だった。
お喋りの猫には三毛猫のチャミもいて、彼女は嫉妬深く私の膝を常に独占していて他の猫には許さなかった。でもある日突然死んでしまった。
老猫ではあった。


お喋り猫には他家から預かる猫を面倒見てくれるフーちゃんもいた。
通院を続けたけど死んでしまった。
息子の猫や新入りのノルルはフーちゃんがトイレや寄り添いをして心を開いてくれていた。
フーちゃんは見た目は怖いけど優しい猫で、黒猫のミーくんが癌になった時にも寄り添ってくれた。
フーちゃんはへその緒がついた状態でチャミと一緒に我が家の前に置かれた段ボールに入っていた。
お腹がすくと私でフミフミをした。


フーちゃんが死んで、お喋り猫は全身を使って私に愛情表現をしてくれる毛繕いもしてくれるチビちゃんだけになった、もともと鼻炎があり多分それが原因で捨てられた猫だけど、やはり面倒見が良く子猫の世話が上手で我が家にはチビに育てられた猫が多くいたそうだ。
私もチビに育てられていたのかもしれない。
落ち込むと良く毛繕いをしてくれた。

沢山の猫と死に別れたけど、チビちゃんの大好き大好きがあったから耐えられたのかもしれない。
先日のアッシュは苦しまず、老衰的に死んでいったけど辛く、気が紛れず。
猫たちが今の夫との縁結びをしてくれたし、猫たちに大好きと表現されていたのは嬉しかった。餌当番であろうとも可愛いし愛しい。

チビがいないと寂しいし、私がここにいても良いと、実感させてくれる存在がいなくなった。

私が連れてきたにゃあちゃんがいるけれど、にゃあちゃんは足立区舎人の猫で台東区谷中の猫ではない。

夫が愛車を手放したことに嘆く時の心苦しさや、具合が悪い時の心苦しさを、経済的な悩みとか受け入れてくれる存在がチビちゃんだった。

猫たちは可愛いし、難しい日本語を話さないので二心はないと信じられる。

図書館や資料室が開いてない閉塞感に潰されそうな今は本当にチビちゃんがいて欲しい。
寂しい。、