義父たちが好きだった揚げ出し豆腐の店が昔上野公園の山下にあったという。
そこは料亭で、画家の小絲源太郎の実家でもあり、独立美術協会のメンバーも食事をしていた。
ある人は洋画などの絵葉書屋も並びにあったというが台東区には資料がない。
今日、夫の同級生から揚げ出しについての質問があり、夫が聞いてきたので義父の旧制中学の同級生だった矢野文夫氏が書き残した地図の一部を『長谷川利行画文集 どんとせえ!』から写メして渡した。
義父死後、絶交状態だった熊谷登久平の文章を遺族に一言もなくあちこちで転載した矢野文夫氏だが、そのお陰で義父の名も残ったのだろうと思っている。