熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

美は脊椎にあり―画家・白石隆一の生涯 小池平和 本の森社

著者、小池 平和
美は脊椎にあり―画家・白石隆一の生涯

「生命にひそむ美とは?「日本一の魚の画家」といわれた岩手出身の洋画家・白石隆一の美への執念とその生涯を描く。
内容(「MARC」データベースより)
「日本一の魚の画家」といわれた岩手県出身の洋画家・白石隆一。高村光太郎との出会い、関東大震災直後、命を落としかけた話や戦争画を描いた頃の不安な日々。隆一の美への執念とその生涯を描く。 」

https://www.amazon.co.jp/dp/4938965054/ref=cm_sw_r_tw_apip_Lhpr948c6FXQ7

義父と同郷で同じ小学校と旧制中学で学び、同じく美術部に属して、学友宅の書庫にある世界の画集を共に楽しんだ白石隆一画伯の伝記。
ほぼ同時期に上京し共に画家を目指すが、白石家は画家になることへの理解があり、親に内緒で中央大学に通いながら川端画学校にも通った義父の熊谷登久平とは上京後の生活は同じ川端画学校に学んだとはいえかなり違う。
また大正期の画学生の生活も読めるが、関東大震災の時に東北弁が出た為に殺されそうになった話にはゾッとする。
運良く家族が間に合い白石隆一氏の命は助かったが。
画家として順調に実績を重ね、従軍画家としても成功した画伯だが、空襲で東京の家とそれまでの主な作品を焼失してしまう。

その後岩手県に戻るがかなりの苦労もされ、東京に戻ることを許されず岩手県一関市で若手育成に力を入れて画家として大成していく。
読みでがあった。

残念なのが、本書の中での義父熊谷登久平は画家を目指したが挫折し銀行に勤めて絵は趣味で終わったように書かれている。

我が家では義父は画家と伝わっており、独立美術協会の審査員も務めたという資料もあるが、著者は画家として認識しておらず、経済人と書いている。
この記述の資料を私は探しているが、見つからず困惑している。、