おかげさまで、熊谷登久平生誕120年と日本橋の柳屋画廊での遺作展から50年の個展は開けたので、次は美術館で熊谷登久平の作品を複数並べるのが夢。
目指せ長谷川利行のパセリから前菜。
明日は国土地理院の予約が取れたので熊谷登久平の口伝、オーラルヒストリーから一次資料への続きをしに行きます。
もう何年やってるんだろうと偶に落ち込みますが、長い階段を登っていると信じてます。
登久平の生誕90年の1991年に岩手県の千厩で『熊谷登久平画伯展』が開催され、生誕100年の2001年には熊谷登久平の絵をメインとする私立の熊谷美術館ができた。
生誕110年になる2011年の前に登久平が可愛いがっていたという本家の英三さんが突然亡くなり、熊谷登久平画伯展の実行委員会のメンバーも次々と鬼籍に入られてる。
で、私は岩手県の画廊かどこかでこじんまりでも何かできたらと願って下調べに入ったところでコロナ禍。
しつこいけど、もう熊谷登久平展は今年もダメかと思ってました。
熊谷登久平は長谷川利行関係で名が残ってますが作品は表に出てないから、下谷警察署のロビーに展示されている『サワラ砂漠』が結構私の心の支えでした。
義父が長谷川利行のパセリなら、私は登久平がいかに美しいパセリで美味しいかを知ってもらうところから始めましょう。
で、長谷川利行と関わりがあった岩手県民で、一緒に写っている写真が残っている矢野文夫(日本画、執筆業)、熊谷登久平(洋画家)、松本俊介(洋画家)、千葉青花(歌人)、佐藤寛(花巻、戦前は歌人、戦後は宮沢賢治研究者、銀河鉄道の夜の車掌さんのモデル伝説もある)。
も、調べてます。
なりふり構わないと思われても、得られる情報をパセリに盛れるだけ盛らないとスターだらけの世界では食べてもらえない。
パセリ美味しくなれ。