熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

しつこいが、1930年、昭和5年7月の熊谷登久平 一関町の白い時計台の千田

私は高校生時代に西明石駅の壁面を借りて仲間と『イラスト展』を主催して新聞にも取り上げられたことがある。
展示に参加したのは道原かつみ森脇真末味明智抄、を含む中学高校の美術部系と短大などて絵をやっていたメンバーだった。

で、同じような熊谷登久平たち旧制一関中学美術部の『オンバコ社』が気になっている。彼らの展示会の様子。義父の絵は何が展示されたのか知りたい。
運が良ければ岩手日日新聞のバックナンバーに記事があるかもと思いつつ、近隣には読める場所がない。
去年岩手の盛岡、一関、千厩に泊まり資料一気に探す予定がコロナ禍でダメになり、義父の節目に旧制一関中学時代の絵を里帰りさせるという野望も潰えた。
夫ももう岩手には行けなかろう。
着地点が見えない。




『また、郷里一関でも、昭和五年、一関中学校出身の美術家が、郷里に残っている者も上京中の者もふくめいっしょに集まって「オンバコ社」という結社をつくり、この年の七月、一関町の中心街に新築された白い時計台の名物建物・千田ビルで「第一回美術展」が開かれた。
これには、もちろん隆一も加わり、北斗会の会員の熊谷登久平、安倍郁二のほか、同級生の親友の佐々木祝寿、横地省三、先輩の安倍貞世ら、計十人が出品している。このとき隆一は油彩の風景画二点を出品、横地は二点、佐々木も二点、安倍郁二は八点、貞世は十六点、熊谷は十点出品した。』

小池平和 本の森 (1997/11/23)

『美は脊椎にあり―画家・白石隆一の生涯』より抜粋。

f:id:TokuheiKumagai:20210606145220p:plainf:id:TokuheiKumagai:20210606145225j:plain

https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/551413423