熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

熊谷登久平が従軍画家逃れで入社した 東京航空計器株式会社 求人要項

東京航空計器株式会社 求人要項1枚を入手した。
義父は戦争画を描きたくなくて、徴兵逃れの画家版の国策会社に入ることを選んだ。
元々豪商の跡取りとして門前の小僧的な商才と人を使うことに生まれた時から馴染んでいた登久平は(中央大学商学部を卒業)人脈もあり使えない人材ではなかったようだ。

我が家に伝わるは、零戦などの計器を作っていた国策会社の東京航空計器は戦後上層部が進駐軍に連れて行かれてしまい、戦争画を描かないで済んだ恩もある義父は進駐軍への対応や会社の立て直しに走り回ったとか。

そのまま役付で定年退職まで勤め、東京航空計器の応接間をデザインしたり文字通り重役出勤をして、「のんきな部長さん」という記事も残る。

一昨年岩手に調べ物に行き、読んだ終戦記念誌に岩手の女学生が東京航空計器に動員された時の随筆があった。
岩手から川崎や狛江の工事まで出てきた女学生の手記は2点読んだが、その女学校の周年誌を調べればもっと読めるのではないかと私は考えている。

岩手に調べに行きたい。

https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000292563


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amzn.to/3x7uHHT
佐藤 彰宣『〈趣味〉としての戦争: 戦記雑誌『丸』の文化史 (叢書パルマコン04)』読了。
申し訳ない、情報量はあるが物足りなかった。
丸が左と呼ばれていた時代やSF作家たちが執筆していた頃の担当編集はまだご存知なのだから、取材して欲しかった。
懐古厨の愚痴です。
丸は私の古巣の一つですし。

面白かったんだよ30年前の丸の編集部。
戦争で焼け残った古い木造建築、並びにはピカピカの白泉社の社屋。
少女マンガは儲かるんだなぁって雑談をしていたのは実写映画『8マン・すべての寂しい夜のために』(1992年)でコケた元リム出版の会議室。
潮書房/光人社の新社屋が出来るまでリム出版の夢の跡も借りて編集をしていた。
その新社屋も今はマッサージ屋さん。
ケーキセットをご馳走になっていたグランドパレスホテルも廃業が決まり、もう斜向かいのガソリンスタンドしか当時の面影がなくなってしまう。

寂しいな。

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