熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

美術の窓の池袋モンパルナス特集


#美術の窓 最新号読了

池袋モンパルナスの特集の中に谷中にあった太平洋美術のことが書かれている。
池袋モンパルナスは豊島区が力を入れて調べて展示もしている戦前の芸術家村で、安い家賃で画家たちが暮らし成功すると鉄道会社の分譲地や高級住宅街に転居していく。

戦前、谷中にも画家のタマゴたち向けの下宿がかなりあったが村はない。登久平がモンパルナス、モンマルトルと呼んだ上野の山だが、今は沢山の画壇や文壇が住んでいたことは忘れられつつある。

上野の山から田端まで画家が住んだのは美學や太平洋美術があったのは大きいし、東京市立美術館への搬入が楽だったから?
残念ながら文京区台東区荒川区はその調査を熱心にしてるとは言えないので、残念に思う。

なんにせよ、調べ発表できる場所と予算がある豊島区がとても羨ましい。北区も結構やっている。練馬区板橋区も美術館があり学芸員がいる。




ヤフオクに東京航空計器製のものが出てる。

画家だった義父の熊谷登久平は戦争画を描くのが嫌で、コネで国策会社の東京航空計器に入社し徴用を逃れた。
戦争画に協力しないと絵具などの画材は手に入らないと言われているが美術展に作品を出している。
国策会社で零戦などの計器を作る会社に所属していることで絵具が手に入ったのか、溜め込んでいたのか私にはわからない。

東京航空計器で熊谷登久平は地方から徴用されてくる人たちの世話役的なのにつく。
川崎の工場にら岩手から動員されてきた女学生の手記に、これはもしかして義父がと思われる人が書かれている。

で、戦後、社長など上が次々と戦犯容疑で引っ張られ、義父は役職として残り進駐軍との交渉などをした時の記事とかが残ってる。

幼かった次男に零戦の計器を作っていた話しなどをしていたそうだ。


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