熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

展覧会 個展など

結構嬉しい。とても嬉しい。

美大の名誉教授が来てくださり、熊谷登久平の資料を褒めてくださった。私がとても参考にさせて頂いている近現代美術の研究者さんが来てくださり熊谷登久平の絵と資料を褒めてくださった。 褒められ慣れてないので戸惑いテンパったけど、嬉しかった。私は美学…

蜻蛉

池之端画廊さんに季節外れの蜻蛉がいて、儚いと思いつつ昼過ぎのこれから冷えてくる外に出しました。 お好み焼き食べました。

右往左往してますが、#田むらの梅 はお出ししました。

東京大空襲の日です。 手を合わせるしかできませんが、うちの裏の慰霊碑に手を合わせました。熊谷登久平展、今週の日曜日までで終わります。登久平の弟さんの息子さんが来てくださいました。 また千厩の方も来てくださいました。 一関市出身の洋画家で登久平…

岩手県一関の銘菓、熊谷登久平が好きだった #たむらの梅 を探して

登久平が通った中学の近所にあったという、お菓子屋さんの #たむらの梅 。 夫の話だと砂糖がまぶしてあるのが好きだったとか。残念ながら私は見たことがない。 シンプルなたむらの梅は千厩でも買えたが、盛岡でも砂糖をまぶしたのは見たことがない。日本橋高…

岩手県の新聞社さん

311と重なるので掲載は未定ですが、熊谷登久平展の取材をして頂けました。ヤフオクに私の先生の絵が出てて、状態の悪さに手を出しそびれた。 光風会の田中祐一先生の絵で私が大好きだった高砂の採石場跡の作品は阪神淡路大震災で失われた。 凄い絵を描く先生…

ねんきん 表紙 ニースの宿 池之端画廊 熊谷登久平展

表紙のことばニースの宿 熊谷登久平ここは南仏ニース。ホテル・アトランテックの十号室、街に面したテラスのすぐ上の室鈴懸 の樹かげに、美しい色とりどりの日傘がならんでゐる街。そして隣の室からは、SANIRTE MARTHE とかかれた緑の看板のおくの黄色の屋根…

ムーラン・ルーデュ 熊谷登久平

現在、池之端画廊さんに展示いているムーラン・ルージュはフランスのムーラン・ルージュの前で熊谷登久平が描いた修作で、本画は日本への帰国後に台東区谷中のアトリエで描いた。谷中のアトリエで描いた作品が厚生省が出していた冊子、「ねんきん」の表紙と…

トレドの砦 絵と文 熊谷登久平

現在、池之端画廊さんに展示している『砦の町』について登久平が書き残した文章。 トレドの砦 絵と文 熊谷登久平マドリードからトレドに行くバス・ターミナルに、千一番の座席。チダから来たプレスマンというセールスマンが、いろいろと話しかける。 聖響を…

足立朝日に出た。

足立朝日という、足立区の朝日新聞の朝刊に挟み込まれる冊子に池之端画廊さんの記事が載り、熊谷登久平の次男の嫁は足立区立郷土博物館の元調査員と紹介されている。 その記事を撮影しようとしたら、長毛三毛猫のにゃあちゃんが乗る。 退けても乗る。抱っこ…

岩手県の熊谷美術館などにある登久平の作品

夫の幼馴染が好きだったと言っていた闘牛士の絵もある。 最後のは戦前、盛岡市で岩手日報が主催してくれた熊谷登久平展の記念写真。 義父の戦前の個展、都外では大気新聞が主催した気仙沼、岩手日報が主催した盛岡、岩手日日が協賛した一関、千厩などがある…

海獣の妻 ガンダム ヤフオクの長谷川利行

熊谷登久平展で随分と差し入れを頂戴する。 美味しいものだらけで嬉しい。その中で異色なのがオリンピック記念のガンダムのプラモデル。 貴重すぎる。飾る。セブンイレブンでバレンタイン用のチョコレートが3割引き処分されていた。中にガンダムのチョコレー…

多治見市陶磁器意匠研究所 芸術家たちの色々

唐突だけど多治見市陶磁器意匠研究所の元所長の川上景也さんが私の母の従弟で子どもの頃は避暑に遊びに行っていた家。 (母方の祖母は岐阜の恵那の旧家の娘で洋画家たちとの交流もあり、そのため祖母は美術が好きで、祖母の長女には画才と文才があり東京の女…

今日の熊谷登久平展 ムーラン・ルーデュ ねんきん 表紙の言葉

夫の同級生たちが来てくれました。 夫の同級生に陶芸家さんがおられて、私の母の従弟が所長をやっていた多治見の研究所に受かり、入る準備をしてたけど藝大に進んだとか。あと戦前に登久平がお世話になっていた白日会の画家さんもいらしてくださいました。 …

熊谷登久平 戦時中作品 香取神宮 鹿島神宮

香取神宮と鹿島神宮は1944年の独立美術協会に出展した記録があり、それらしき絵が2枚倉庫にあった。が、どちらがどちらかコロナ禍では現地に調べに行けない。そのため上野の山の文化財研究所の絵葉書資料にて調査。香取神宮の葉書があり特定できた。 常磐線…

熊谷登久平 家 #ニコライ聖堂

熊谷登久平の『家』とニコライ聖堂、この二作品は岩手県立美術館に納められている千厩警察署と同時期と私は考えている。 その理由はタッチもだが、額装で隠れる部分を絵の具で塗ってない。 二科展に入選するまで登久平は家業を継ぐことを願う父親から勘当さ…

熊谷登久平展 2日目 義母と夫と私 岸田劉生と熊谷家

勝海舟がよき友と書き残している、熊谷登久平の生家日野家出身で横浜港開港の立役者の1人でもある熊谷伊助の直系、片瀬熊谷家の美波さんが来展示してくださったので一緒に池之端の鰻の老舗の柏屋さんでランチをした。 旨し。 美波さんのご先祖の岩手県の千厩…

熊谷登久平展 初日 生誕120年 東京最後の個展から50年

池之端画廊さんで、熊谷登久平展が始まりました。 登久平の弟の広介さんのお孫さん桂さんご夫妻が来場一番乗りで、無事に登久平が描いた広介さんの肖像画を渡せました。 額装はお任せします。 次は夫の上野中学の同級生たち。 私は上野中学の立地を常に羨ん…

雑記

熊谷登久平生誕120年 熊谷登久平展への搬入とか

本日、遺作展から50年ぶりの熊谷登久平展への準備が始まりました。 ぶっちゃけ絵の状態は悪いです。 絵の収納庫を作った時代は真夏でも30度をこえることが少なく、この異常気象で一気に劣化が進んでいます。 時代を彩った洋画家たち展と同レベルは期待しない…

熊谷登久平展、閑散だったらどうしよう。

#池之端画廊 さんの『時代を彩った洋画家たち(ll)は明日で終わり、次は義父の #熊谷登久平展 です。 夫と来客ゼロだったらどうしようかと怯えております。 密にはならないよね、それが大事だよね。と慰め合いながら。つか私はここんとこ眠れません。大正時代…

めも 熊谷登久平展 葉書 チラシ

岩手県立美術館に少し送りました。 案内ハガキの絵はとても良いので、千厩の本家、熊谷美術館にも置いてもらえたらと今日発送したり。必要な方は連絡ください。 送ります。あと私は字が汚いので恥ずかしく。 先に謝っておきます。ごめんなさい。 申し訳ない。

厚生省が出していた雑誌、『ねんきん』『社会保険』

手付かずにしている、義父の熊谷登久平の絵が表紙だった厚生省の雑誌。 国会図書館にあるが、デジタル化しておらず、我が家にあるカビ臭い山と格闘しなければならない。 私は喘息持ちで体力が弱ると発作を起こしやすい。 ので、熊谷登久平展が終わったら手を…

戦争画逃れ 従軍画家逃れ 熊谷登久平

昨夜、11時前に熊谷登久平の作品名の問い合わせがあり、30年前に岩手県立博物館の学芸員さんと、本家の千厩の日野屋と一関の義父の従弟の平澤一男さんたちが作っていださっていたリストを調べて、また義父が残していた関連記事スクラップブックも調べた。 多…

熊谷登久平展の広報中 教えて松尾恒夫?松尾常夫?さんのこと

現役を介護離職して15年以上経っているし、ジャンル違うので右往左往してて要領悪いです。#池之端画廊 の企画展 義父の洋画家 #熊谷登久平展 のことを、所属していた #独立美術協会 さんがサイトに掲載してくださいました。 死ぬまで会員でしたけど、死後52…

熊谷登久平関係の周年

掲載されるか不明ですが、岩手県の新聞社の記者さんに #熊谷登久平展 のこと取材して頂きました。記者さんに熊谷登久平生誕120年と千厩の熊谷博物館開設20年だと教えて頂き、あ、義父は1901年生まれだったと。 義父が可愛がっていた甥の英三さんが熊谷登久平…

白日会の頃の修羅場明け的な熊谷登久平と、棟方志功に似てるけど丸坊主な人

ギャラリー猫町さんとギャラリー七面坂途中で猫作品で幸せする。 ひるねこBOOKSさんは昨日今日と人が多い。 周年企画展観たい。熊谷登久平展と時代を彩った画家展の葉書をあちこちに置いてもらう為にまわっている。林武先生たちがひらいてくださった柳屋画廊…

ダイレクトメール配り 銀座線あたり

池之端画廊さんの『熊谷登久平展』『時代を彩った画家たち(Ⅱ)展』の葉書を置いてもらいに谷根千から上野桜木経由、京橋から銀座の画廊などをまわる。

池之端画廊 池袋モンパルナス 岡田謙三 上野の山の画家たち

数少ない岡田謙三の具現画も展示された。 義父が可愛がっていた絹谷幸二先生の裸婦も今日から展示。絹谷先生の展示許可は私がお願いしました。うちのアパートは藝大生や東大生がよく住んでいて、絹谷先生が好きな生徒さんが、熊谷登久平の遺族が経営するアパ…

池之端画廊 時代を彩った洋画家たち(ll) 上野の山で活躍した

熊谷登久平も混ざってます。

熊谷登久平の勲章 小野寺長治郎とは仙台か下北沢つながりかな

熊谷登久平が戦前に出した画集に『勲章』って題の陸軍の偉い人的な絵があり誰だろうと悩んでいたけど、白日会の1938年の出展記録に『小野寺総監像』ってのがあり、もしかしたらあの小野寺長治郎かなと、元戦記雑誌丸の記者のカン。写真をネットで探したら似…