熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

熊谷登久平展の広報中 教えて松尾恒夫?松尾常夫?さんのこと

現役を介護離職して15年以上経っているし、ジャンル違うので右往左往してて要領悪いです。

#池之端画廊 の企画展
義父の洋画家 #熊谷登久平展 のことを、所属していた #独立美術協会 さんがサイトに掲載してくださいました。
死ぬまで会員でしたけど、死後52年も経っておりますのに、ありがたやありがたや。

dokuritsuten.com
独立美術トップから入れます。
池之端画廊へのリンクあり



前田輪業として藝大に用があり、大浦食堂さん前に行くと大浦のおじさんがいた。
バタ丼レシピは次のお店が引き継ぐそうだ。
カフェオレ用のカップを頂いた。
あの牛乳味のカフェオレ好きだった。
大浦のおじさんは40年前と変わらないので人魚の肉を食べたのだと思う。
記憶力も半端なく、藝大辞典だ。


義父の熊谷登久平(徳兵衛)と長谷川利行昭和2年に『反大協和展』を開催した谷中の坂町の彩美堂。
今は移転し台東区役所の前に本店がある。
昭和2年、当時の当主は広島から上京した元僧侶で絵も描き、肖像画の学校も経営していた土肥圓修(円修学)。
徳兵衛と利行は土肥さんに絵具も分けてもらっていた。

昭和2年長谷川利行と熊谷徳兵衛(登久平)が、谷中坂町の言問通り沿いにあった彩美堂と木秋社で「反大協和二人展」を開催したことは、熊谷登久平が書き残している。
登久平の随筆だけだと二人ととれる。

が、多くの書籍に彩美堂他でやったのは松尾常夫も加わり実質三人展とある。
この松尾常夫の資料を探すも、1930年協会と帝展に出展したこと、あと白日会にも出展記録あるが、詳細も生没年も不明。
登久平とはいつ知り合ったのだろう。川端画学校だろうか?
松尾恒夫(常夫)で検索をかけても別ジャンルの人のが出るし、年齢的に合わない。

私は美術の専門家ではなく、学んだのはほんのちょっぴりだ。
基礎がないので検索に入れる単語の語彙数も少ない。
素人考えだと、上野の山の文化財研究所の検索が思い浮かぶが、松尾恒夫と松尾常夫ではゼロだ。

登久平と長谷川利行の友人の画家、松尾さんって誰なんだろう。




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