熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

昭和7年生まれの母

午前、家業のたまに軽トラックで谷中銀座へ。

ついでに買い物。

八百屋さんでは野菜が安く買えた。まだ高いものもあるけど、人参と玉ねぎが戸惑わない値段になりホッとする。

 

夫がマミーズのアップルパイを買ってくれた。

ここのアップルパイは義兄の大好物だったそうで、白山に店があった頃はそこまで買いに行っていたそうだ。

残念ながら義兄は糖尿病が悪化して大好きな甘味を食べられなくなり、我慢強く抑制していたそうだが、義母の通夜で倒れて一年して亡くなった。

友人の明智抄もだけど、糖質制限を頑張ってても他の病気で亡くなることもある。

私はリベルサスという新しい薬が劇的にあい、食事制限も外れた。

明智抄がほんの一年長生きしてくれていたら大判焼きを食べられたのになと思う。

 

家業の仕入れ先に先月の支払いに行くと社長がいらして、冬に岩手県で買ってきた土産のお礼を言われる。聞くと盛岡出身だとかで、私が盛岡で朝食のひっつみ目当てで泊まる定宿があると話し、そのままふかふかのコッペパンのサンドが名物の福田パンの話になり、高校時代帰りに買って食べていたと懐かしがられた。

亀有と北千住にある吉田パンは福田パンで修行した人がやってるから、ふかふかで具材も美味しいですよと話すと今度買いに行くとのこと。

岩手県は広いから私が知らない名物も沢山あると思うけど、ひっつみと福田パン讃談義ができて楽しかった。

 

 

 

今日は母の誕生日だ。晩年は認知症になり、まばらボケで24時間見守りが必要となった。

母は名古屋の山の手の空襲までは白米を食べれたお嬢様だったので、晩年は家事をお願いすると女中の仕事だと嘆いていた。母の戦中戦後は地震、空襲、地震、栄養失調、結核伊勢湾台風結核

今思うと認知症が始まってからだろう、食事に執着するようになり、自分で料理をしたがらなくなり、つか元々料理は上手だが作るのが好きでなかったのだろう。私は小学中学年から晩御飯の当番をやることが増えた。

知人の工場に手伝いに行く父のお弁当も使っていた。

母は婚姻関係で得られた嫡子の弟を溺愛していた。その弟からは母の癌のことで随分と怒鳴られて母の納骨に参列するのを許されなかった。

血縁に褒められたくて色々頑張ったが、父の嫡子たちの出来が良くて私では足りず、父方の従姉妹たちも優秀で褒められるのが集まりで手伝う料理だけだった。

 

私の料理は承認欲求の塊だと思う。

 

 

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