熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

メモ 熊谷伊助 幕末の研究者 中井けやき 氏 昭和27年生まれの七五三

某日、中井けやき 氏が書いた幕末から維新の横浜などの人間模様が良いと教わった。

 

けやきのブログⅡ をまとめた本を勧められている。

 

コロナ禍でなければ今は熊谷登久平生誕120年展の準備で忙しかったろうなと思いつつ、国会図書館も資料室も予約や抽選なので相変わらず辛い。

https://keyakinokaze.cocolog-nifty.com/

 

今ネットニュースで昭和には七五三がなかった平成になってからだなん的なのが流れていて、私は昭和37年生まれであるが七五三の記憶はあるし写真も残っていたが何処かに埋もれている。同い年の従姉と一緒に千歳飴を持っていた。

愛知県の話しだ。

母方は空襲と地震結核伊勢湾台風で疲弊した一族なので富裕層ではない。

空襲後に死者を出しながら名古屋市の港区の空襲被災者向け住宅に落ち着いたと思ったら伊勢湾台風でなんとか助かり、名古屋市から離れて小牧市の東田中にできた県住で再々出発をした一族だ。

もう富裕層ではないが、七五三はした。

 

https://dailyportalz.jp/kiji/walking-with-folklorist-01

で、婚家の熊谷家のアルバムには昭和27生まれの義兄の熊谷久の七五三の写真、千歳飴を持つ姿が残っている。

60年以上前の写真であり、間違えなく昭和。

 

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https://dailyportalz.jp/kiji/walking-with-folklorist-01

以下、2021年9月21日 デイリーポータルZの『特集  路上飲み対策にも恋愛の南京錠をかけるのも民俗。民俗学者と街を歩く』より抜粋。

 

『室井:経済からしか本当は調べられないはずなんですよ。たとえば民俗学は年中行事とか人生儀礼を対象としますよね。だから七五三とか成人式なんかは昔は誰もできなかったんです。金持ちしかできなかった。

林 :ああ、あれは金持ちのものだったんだ!

[七五三は平成に入ってからのもの]
室井:それが行われるようになったのは高度経済成長期に2つの理由があって、まず所得が上がって一般のサラリーマン家庭も金持ちの家と同じことができるようになった。もうひとつは農業の機械化が進んで、田んぼが早くできて、農家でも土日に休めるようになった。昔は土日も農家は働いてなければいけなかったんですね。

林 :お金と時間ができた。

大北:トラクターが七五三を生んだのかよ…

室井:七五三は昔からの伝統に見えて現代的ということになります。

林 :伝統って言われてるものが実は新しいというのはよく聞きますね。』

 

『室井:七五三が全国化したのは平成に入ってから。(※たとえばダイエーが催事として事業開始したのは1980年からだそう 参考 開智国際大学紀要『七五三の全国的な広がりとスーパーの役割』田口 祐子著)

林 :平成ですか!

室井:全国に普及したのは。まだ2〜30年の歴史しかない。

林 :僕が大人になってからだ。

室井:それはどういうことかというと、七五三はもともと東京都心部の富裕層で行なわれていた行事だったんです。関西なんかは十三参りという13歳の時のお祝いを重視していた。今は関西でも七五三をやるんですけど、数十年を経て東京起源の流行が関西に到達した。

大北:関西から席巻した恵方巻の逆だ!

林 :それと絡めてスタジオアリスとかがお金儲けから入っていくのも研究の対象ですか。

室井:研究してる人もいると思いますけど、スタジオアリスなんかは決定的なんですよ。決定的。七五三が普及するようになった。

林 :スタジオアリスがあってから七五三なんですね。

室井:七五三はもともとあった儀礼ですけど一般的じゃなかった。それが隣の人もやるからみんなあれをやっておかないといけないとなった。スタジオアリスが営業を始めたのは平成に入ってから。その10年前に晴れ着の丸昌がレンタル始めたんですね。それまでは着物っていうのは親が仕立てなければいけなかったので、本当に貧乏な人はできなかった。近所の人に借りたりとか借りるのが嫌な人はやらなかった。レンタルが儀礼の一般化を進めた。

大北:なるほど、たしかに貸してくれないと着物がないですね…!

林 :儀礼的なものもすごく今の商売にすごく近いんですね。』

 

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