熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

元足立区民

夫が美味しいもの食べておいでとお小遣いをくれたので、元足立区民主婦友と足立区へ。

 

北千住の(名門銭湯だった)大黒湯の並びに移転したパンケーキの有名店、茶香にて期間限定パンケーキむきたて桃太郎を食す。
ぷるんぷるんのパンケーキ。

 

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千住寿町の銭湯の大黒湯さんがあった場所は更地になっていた。去年廃棄された。

銭湯好きの友人と嘆く。

 

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25年ほど前、足立区立郷土博物館の風土記編纂室勤務時代。

千住の空襲の焼け止まり地域を、1945年8月9日の航空写真片手に歩いて調査していた私は大黒湯の前も通った。

その時大黒湯は改修工事をしてた。
担当していた宮大工さんが今ではこんな立派なものを建てるの大変だと、これからもずっと使えると誇りをもって話してくださったのが心に残る。

 

北千住駅から西新井大師行きバスで、西新井大師へ。

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西新井大師の江戸中期に建立された本堂、空襲で焼夷弾が落ちるも焼け残った。
が、残念ながら昭和41年に火災で本堂は消失。
本尊、襖絵、美術品などは無事。

 

今日は縁日だが、名物だった西新井焼きは出てなかった。
西新井焼き、昔は粉を薄く焼きた生地の上にキャベツ、豚肉、卵などを乗せてひっくり返して焼くお好み焼き的なものだったが、いつの頃からか業務用のクレープ生地の上にキャベツなどを乗せるようになった。

それでも祭り気分の加味されて美味しく感じた。

今もあるのだろうか。

 

 

今日の西新井大師は風鈴祭り中でもある。

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風鈴祭り、久しぶり。
末期癌の母が入院先で浴衣が着たいと言うので、大師様の北側の商店街の呉服屋さんに買いに行った時以来になる。
10年以上昔の話しだ。

あの時は精神的に辛かった。

そのためか映画で少女が追い込まれるシーンを思い出した。

それが、今日は音色を楽しんだ。

 

会場には全国の風鈴が飾られそれぞれの音で奏でる。

うる星やつらの映画、ビューティフルドリーマー風鈴のシーンの音色的のも今日はを懐かしい旋律と感じた。

今は不安もあるけど幸せで、だから優しく感じたのだろう。

 

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あの日に買った浴衣、桃色の可愛い柄で、可愛いものを好む母は喜んでくれた。

母が亡くなった時、看護師さんに頼んで着せてもらい薄化粧をした。

母が好きだった西新井大師前の草団子も今は作られてない。門前の江戸時代からの老舗料亭で草団子も売っていた店は立派な建物を壊し、売店を残して老人ホームとなっていた。

そこでは平成になってから餡が中に入った草団子が作られるようになり、食べやすく、母も子も好きだった。

聞くと建物を解体して新店舗にしたら製造の機械が入らなかったとか、あの草団子を好きだったお客様から惜しまれているとのこと。

あの草団子を母が亡くなる前に食べさせることができてよかった。

今は新しく塩餡のものも出来てて美味しかったけど、あの食べやすさが懐かしい。

 

 

大師様の縁日には全国から出店が来る。

なのでずっと夫が食べたがっている「辛子小茄子」を探したらあったので購入。

成田山のウリに唐辛子を詰めてたまり漬けにした鉄砲漬けも購入。

夫の記憶の中の美味しいものは義父のお弟子さんのお土産だったり、義父の兄弟が送ってくる東北の食材やお菓子。

それらは岩手県のアンテナショップや百貨店の催事などで探すようにしているが、夫が話す形の辛子小茄子は見つかっていない。

今度のが当たりだと嬉しい。

 

 

夫と出逢った頃、彼は義母と義兄を相次ぎ亡くしたショックでものが食べられなくなり、ゲゲゲの鬼太郎ねずみ男のような体型だった。

少しずつ消化の良い食べ物を用意して、胃腸を治し標準体型まで戻した時には担当医に褒められた。

が、今はとても食べるようになり太った。

好きなものを作るとご飯三杯食べる。

明智抄さんも白米が好きで沢山食べる人だったが、夫、彼女並みに食べるようになった。

あのガリガリの肌ボロボロの頃よりはぷくぷくしている方が良いのかなと悩みつつ、夫の好物を用意する。

 

 

で、縁日ではベルト業者さんにも寄り太った夫のために120センチのものを探したが今日は持ってきてないとのこと。

ワークマンにあるだろうか。

夜中に食べるのやめてほしい。ニコニコと食べるのは可愛いけど。

 

 

西新井大師門前はコロナ禍のせいか閉店した店も少なくなくて寂しくもあった。

 

 

懐かしのかどやは健在で、足立区出身の主婦友と歓喜の舞を踊った。

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パンケーキがお腹に残っていたので入らず。
西新井大師門前も随分と変わった。
 
昔あった土産物、西新井大師名物の綿のたぬきももうない。最後に見た時は御高齢の夫婦が器用に作っておられた。後継者がいなかったのだろう。

 

達磨の店も参道にない。

観光客向けの店ははずれに出来ていた。

 

 

 

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今もあるだろうかとドキドキしながら門前の煎餅屋さん浅香屋へ。

門前にあった煎餅屋さん、何軒かは廃業していたので本当にドキドキしていた。あったのでホッとした。

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浅香屋は亡くなられた早乙女勝元先生が大好きだった煎餅屋さんで、教えていただいた。

西新井大師に用がある時に「早乙女勝元先生用」というと先生がお好きなものを見繕ってくれる店だった。

先生とB-29搭乗員がパラシュートで降りた雷神社に自転車で先生と行った帰りにも一緒に立ち寄り煎餅を買った。(その搭乗員は斬首された)

 

友人のご両親も浅香屋の煎餅が好きだったそうだ。

 

煎餅といえば足立区の隣の草加が有名だが、関東大震災までは煎餅生地は足立区の農村の副業だったと聞いていた。

ところが関東大震災前に井戸が枯れて煎餅生地を作る時に使う水が足りなくなった。

てな話も聞いたことがある。

千住は宿場町で次の宿場町が草加

足立区の日光街道には立派な長屋門のある屋敷も残っていたが今はない。

 

あれもこれも今はない。

人も亡くなっていく。

 

今日は懐かしく美味しいものの日かな。